幸福に生きるための「必須条件」はたった1つだけという話

 幸せを掴むとは?

今、こみち自身が想像し、予測していることは、「幸せとは何か?」ではなく、「幸せになる方法」です。

というのも、「幸せとは何か?」については、幸せになってからでも考えられることで、急ぐべき話ではありません。

しかし、「幸せになる方法」は、仮に方法に気づいたとしても、実践し結果ができるまで幸せではないのです。

先にこみちなりの結論を言ってしまえば、幸福に生きるために欠かせないことは自身の居場所を見つけることで、幸せになる方法とはそうなるためにどう進むべきかということです。

もっと別の言い方をすると、優れた人間だけが幸せになれるのではなく、また失敗ばかりしていても不幸とは限りません。

つまり、自身で納得していない状況を与えられても、そこに居ると時は不自由こそありません。

しかし、自我を出して動いてみると、そこが急に居辛い場所になるのです。

なぜなら、自身で納得して作ったモノではないから。

例えば高額なブランドの服に身を包めば、何も知らない人からはお金持ちなのだろうと思われるかもしれません。

しかし、幸福な人に見えているかは別の話です。

というのも、幸福になる方法に気づき、そのために進み始めると、あることに気づきます。

それが、「幸福になる条件」です。

そしてさらに言うと、外見だけでは分かりませんが、少し話をしてみると、なぜ成功できた人なのかが分かるようになります。

なぜなら、「幸福になる条件」を満たしているからです。

ただし、その条件に気づいて成功できた人と、偶然に成功できた人にも違いがあって、偶然の場合には言動の中に違和感となるポイントが含まれます。

つまり、その違和感が先に来ていたら、成功できなかっただろうということです。

こんな風に説明すると、成功することがとても難しいことに思えるかもしれません。

しかし、こみち自身が想像し予測している流れは、どんな職業でも年齢でも関係はありません。

厳密に言えば、若い頃に気づいて継続した人ほど成功する確率も高いとは思いますが、中高年になっても不可能だとは思っていません。

唯一の「条件」とは?

それは、人に好かれることです。

「なんだそんなことか?」と思う人もいるでしょう。

逆に経験を重ねて、「自分にはできない」と思う人もいるはずです。

こみち自身も簡単なことだとは思っていなくて、例えば「自分の良さ」とは何かを考えることでも、自分の考えと他人からの評価は異なっていたりします。

しかし、「人に好かれること」とお伝えした通り、幸福になるには自分の思い込みよりも他人から見える自分の方が優先されるべきです。

もちろん、自分あってという考えもあるでしょう。

それでも成功する人がいますが、結論を言うと成功しない確率も高まります。

幸福になる方法を考えるなら、ある程度の手ごたえを掴むまでは、人に好かれることと向き合うべきです。

他人は自分のどこを好きなのか?

好かれるために、良い人を演じることを思いつく人がいるでしょう。

しかし、それが唯一の解決策ではなく、嘘をつかないとか、最後まで真摯に対処することとか、いろんな方法があるはずです。

なぜなら、相手だって幸福になりたいのです。

だとしたら、上手くことが運べば嬉しいはずですが、どう考えてもこの先ずっとそれが続くとは限りません。

つまり、その人も幸福になる方法を実践してこそなのです。

だから、自分がへらへらと良い人になっても、自分以外の人とはその人が思うようになりません。

結論を言えば、幸福にはなれないのです。

つまり、厳しいことを言う必要も、目的や理由が伴っていたら避けられませんし、仮にその時は嫌な人だと思われても、時が過ぎると「あの時のアドバイスに助けられた」となるはずです。

なぜなら、そのポイントを越えない限り、前に進めないからです。

さぁ、別のアプローチで考えましょう。

人に好かれるとは、優しいことだけではありません。

一緒に居たいとか、安心できると思われる関係を築きことです。

そのためには、自分自身が何か1つでいいので、得意なことを見つけましょう。

例えば、勉強が得意なら、司法試験に合格し、法律の知識で困っている人の役に立ってもいいでしょう。

スポーツが好きなら、健康管理やストレス発散など、スポーツの楽しさや効果を修得し、伝えられる存在になれればいいのです。

そんな風に考えると、職業や年齢でダメということはなく、むしろその立場だからこその役割があるはずです。

新鮮な生魚が目の前にあれば、誰でも美味しく焼き、焼き魚として振る舞えるかもしれません。

しかし、新鮮な生魚がどこで手に入るのか、どう見分ければいいのか、もしかすると焼き方だって上手い下手があるかもしれません。

焼き魚だけではなく、煮魚の方がいいということもあるでしょう。

ここで言いたいのは、「できる」ということも、実は本当にいろんな条件があって成り立っていて、そこに多くの人が関わっています。

つまり、役立つ方法も、いろんなアプローチがあって、そのどれもが欠かせないものです。

ということは、誰にも当てはまる100点満点だけが幸福になる方法ではなく、それぞれにとっての100点を目指せばいいということ。

そのために必要な経験を重ねて、気づき、さらに役立てる人になっていくことで、人から好かれるのでしょう。

「なぜ幸福になれないのか?」と考えて、幸福を深掘りしても、多くは大多数に当てはまるような答えしか見つかりません。

しかし、それをみんなと一緒に追い続けても、どうやら幸せにはなれないと感じました。

なぜなら、一緒に追い続ける安心感に自分が誰かから癒してもらっているからです。

つまり、自身で誰かの役に立つなら、一緒に進みことばかりではダメだったのです。

メインを進む人がいるから、サブの役割が重要になります。

どちらが幸せなのかではなく、自身で自分に求められるポジションに気づき、そのための知識や経験を積むことで、幸せになるのです。

さらに言えば、サブを経験したからこそ、ずっと先でメインになっていることもあります。

メインしか経験していなければ、もっとメインに相応しい人に出会って挫折を感じるでしょう。

でも実際は挫折ではなく、気づきに過ぎません。

なぜメインではなくなったのか。

理由は簡単で、サブとしての役割ができるまでに成長したからです。

だったら、サブとしても認められる人になりましょう。

その頃には、当時とは違うメインが待っています。

失敗やミスしたことは大きな問題ではなく、そうなることをどこかで思っていたことを恥じるべきです。

出し切ってダメなら、力不足なので納得できます。

しかし、努力や出来ることをやらずに、夢を掴めないことが一番もったいないことです。

本気を出せばできてのかさえ分からないので、また時間を使って同じことを繰り返すか、結果も見えないまま諦めるしかないからです。

「もうこれでダメなら仕方ない!」という経験を重ねていたら、失敗したことに悩むよりも、次はもっと別の方法で挑戦しようと思うはずです。

きっと、そんな経験を続けたら、幸せになるしかないと思うんです。

こみちにもできることがないかと考えていたら、ワクワクもしますし、前向きにもなれます。

どうか同じような経験をして、幸せを掴む人がたくさん現れますように。