最近「時計の広告ばかり表示される」と言った妻
少しのろけさせてください。
昨夜のことですが、妻がふと「時計を買ってあげたい」と言い出したんです。
時計と言えば、こみち自身がとても気になっているGPSウォッチですが、妻のいう時計とは針で時刻を表示する従来の時計でした。
そもそも「広告に…」とは、スマホかパソコンで検索したことがあるからでしょう。
季節的なことも関係しているのかもしれませんが、多分、まだ直接的に口にしたことはなかったのですが、何気ない会話からGPSウォッチの話をしているのは事実です。
その時も妻から関心を見せたりしなかったですが、ひっそりと調べたりしていたのでしょう。
それで広告が頻繁に出るようになったと思うんです。
安いものではないのに、ある程度の値段を知った上で、「買ってあげたい」と言ってくれたのは本当に嬉しかったですし、逆に自分のモノよりも妻の欲しいモノを優先したくもなりました。
GPSウォッチが欲しい!?
「ものが欲しい」という感覚よりも、夢に近くために必要を感じるから、GPSウォッチが欲しいと思います。
時間を確認したいというよりも、マラソンで好タイムを出したいからというよりも、安全を担保してより長い距離を走りたいからです。
さらに言えば、今、「旅ラン」チャンネルを立ち上げたくて、どんな構成で撮影したらいいのかと悩んでいます。
例えば、キレイな映像で撮影し、自然の豊かさを感じてもらうのも一択としてあるでしょう。
ドローンで上空からの景色も取り入れれば、より壮大な雰囲気が加わります。
しかし、今から始めたい旅ランの方向性はそうではないように感じます。
もっと日常的でスケールの小さなもの。
こみち自身、地味な見た目と性格で、大きなイベントを盛大に立ち上げて成功させてしまえる手腕の持ち主ではありません。
クラスでも居たか居ないのか気づかれないくらいの存在でした。
しかし振り返ると、いろんな人に助けられて、ここまで生きていたと感じます。
その意味では、正統派だけが求められるのではなく、細々と存在するチャンネルがあってもいいと思うのです。
確かに最近は、ジョギングの距離も延びていて、例えば40キロの距離もバテバテになりながら走り切りました。
確か8時間くらい掛かったはずです。
気持ちも折れて、足も棒のようになるのを通り越して、体が痛いというレベルを超えて一歩も歩けないくらい自分の体ではなくなりました。
最後は本当にゆっくり歩き続けて、家にたどり着いた感じです。
その行動根底にあるのは、精神疾患を克服したいからで、挑戦と達成を繰り返すことで自信を得たいと思っていました。
「できない」というのは簡単ですが、「最後までやり切ってみる」ことの大切さを特に感じます。
なので、走れる自信がある距離を、より速いタイムで駆け抜けることよりも、疲れてもうダメだと感じてからどれだけさらに頑張れるのかを楽しんでいるところがあります。
拙いながらも、そんな雰囲気を感じてもらえる旅ランチャンネルを立ち上げたいのです。
その意味では、別にGPSウォッチが必須ではありません。
ただ、居場所を確認できたり、ルートの表示などを知れることで、長い距離をより走りやすくしてくれると思います。
「幸せになりたいから」の一歩
何かを始めたいと思っている時は、それを考えるだけで楽しいものです。
誰かに与えられた幸せだけでは、心の底からワクワクした感情にはなれません。
さらに言えば、自分自身がワクワクできるからこそ、別の誰かが全く異なることで同じように頑張っていると、共通の何かを感じられて、さらに日常生活の見え方が変わってきます。
圧倒的な幸福感に触れるのもいいですが、「何しているんだろう?でも楽しそうにしているなぁ」くらいの雰囲気で、こみちの幸せを伝えられたら嬉しいと思います。