旅ランチャンネルの立ち上げ
こみちの個性をどう活用できるだろうと考えると、決して旅ランチャンネルという発想も悪いものではない。
しかし、昨日発売されたGarminのgpsウォッチがAmazonにも登場したけれど、8万円を超える価格に手が出せなかった。
何気なく妻の言った「少し節約しないとね」という言葉に、「買う」とは言い出せない。
自身のお金だとしても、いろんな経費も掛かるから、自由に使えるかというと、全くそんなことはないのが現実だ。
慎重と言えば長所だが、決断が遅いのは短所で、そうやって成功するチャンスを逃してしまう。
躊躇う理由
こみち自身、40キロという距離をジョギングの延長で走った。
経験者なら分かると思うけれど、10キロ走とも20キロ走とも違う感覚で、運動不足解消のつもりで近所を走るようになった中高年ランナーには、おすすめできない距離が40キロだ。
そもそも40キロ走は、80キロ走の予定を短くしたもので、とにかくどこまで走れるかと思って走り出し、距離を延ばす中で足が痛くなり、腕も触れなくなり、行き先を確かめることもできなくなった。
逃げ場所がどんどん少なくなって、ある時には足の痛みさえ肯定的に考えて、ふくらはぎの突っ張る感覚も足首を不用意に使わないことで距離を延ばせるようになる。
もうダメだと思っても、不意にまだ頑張れる気持ちが湧いてきて、さらに前に進もうと頑張る。
そんなこんながギリギリまで押し寄せて、自身の気持ちを追い込んでいた。
その時、腕に付けたスマートバンドが初めてフリーズして、何キロ地点からは一切表示が変わらなくなって、視覚的に進んでいるという感覚を奪われた。
キロ何分で走っているのかを目安にしていたから、それが全く分からないことで、一歩ずつ進んでいても、一切前に進んでいないように思えてしまう。
そんな八方塞がりを経験して、たどり着いた結論は、「真実しか残らない」ということ。
「左と右、どちらを残す?」と聞かれて、それを繰り返していくと、最後に残すものって何だろうか。
こみちの場合、「命」に行き着くけれど、その中にも順番があって、「こみちの命」が最も最後まで残るとは限らない。
突発的な事故で、瞬間的にこみちと妻のどちらかしか生き残れないとしたら、こみちは自身が生き残ることよりも、妻に生き残って欲しいと思ってしまう。
つまり、旅ランチャンネルという試みも、「GPSウォッチがなければできないのか?」という問い掛けに行きつき、今の装備でも十分にできるし、少なくとも40キロの距離は走り切れることが分かった。
確かにgarminの時計は、体調管理やトレーニングメニューを提案するなど、魅力的な機能が豊富だ。
しかし、何もかもが塞がるような状況になった時、本当に必要なことは諦めない気持ちで、それ以外は脚色に過ぎない。
だとするなら、もう少し本気で進んでみて、本当に必要だと確信したら、その気持ちを妻に打ち明けよう。
というのも、こみちが本当に欲しいと思った時は、一切の躊躇いがない。
24時間ずっとそれを考えていて、欲しいと思い続けてしまう。
そんな経験からすれば、最上級モデル故に良いなぁと思っているGPSウォッチの他、弟分のモデルやコスパのいいモデルの間で、まだ悩んでいるのも事実だ。
結局のところ、まだ欲しいのか決めかねていて、欲しいと思い込んでいる気がする段階だ。
そう、一目惚れしているような感じ。