かつては「完璧」が当たり前だった!?
製造の分野で厳しいコスト管理を強いると、商品の根幹部分をいかに共通部品で賄うかが課題になってくる。
一方で、そんな根幹部分に欠陥見つかると、一種類ではなく、時に数種類、最悪な場合には全ての商品がリコールや回収の騒ぎになることも無いとは言えない。
ミスを減らし、より完成度の高い商品開発を目指そうとすれば、結果的に開発期間が延びてしまう。
しかしながら、現代におけるニーズは、そんな根幹部分への信頼性ではなく、時にアイデアや工夫で補えるインパクトだったりする。
「〇〇はこうでなければいけない」
そんな考え方でこれまで働いて来た人にとって、売り出す商品に欠陥や不具合があるなど考えられないだろう。
ファームウェアのアップデート!?
ある商品に導入されたプログラム言語を、売り出した時点では気づかなかった不具合が市場で見つかると、ファームウェアのアップデートという形で補われることがある。
ある意味、商品発売日をずらして、1年とか2年の猶予を設け、バグの修正を済ませてから発売にこぎつけることもできる。
しかし、今の時代、1年で技術は大きく変化するし、市場ニーズも180度変わってしまう。
だからこそできるだけ早く発売し、ある程度の良さを体感してもらいながら、その時々で浮上したバグや問題点に合わせて、ファームウェアのアップデートで補うスタイルが増えたのだろう。
日本人の良さとは!?
海外の人と働いて思うのは、瞬発力の高さだ。
手順や方法を入念に説明し、相手もそれを熟知して、ミスや間違いのない状態で仕事へ移るのは日本人らしい特徴にも見える。
何かを決めるために会議を開き、その会議で話す内容を会議資料として担当者が作る。
一人で難しい時は、数名、さらには部署全体で手分けして行うこともあるだろう。
それだけの時間を掛け目的はなんだろうか。
会社として、利益を上げる話題ではなく、社内会議としての体裁ではないだろうか。
一方で、海外の人をみると、スタイルもタイミングも結構違う。
しかし、彼らの評価でポイントになるのは、真面目さではなく、対応能力にあるように思う。
つまり、準備部分ではなく、課題や問題点にいきなり立ち向かえるだけのパワーがあるということ。
あれこれと思案している間に、もう取り掛かっていて、時に動き出そうとした時には「終わっている」ということが起こる。
昔、デジタルとアナログの違いを理解することが求められたことがあった。
簡単に言えば、整頓されるのが当たり前なデジタルと、意図的に整頓しなければいけないのがアナログだ。
幅1センチで、魚の切り身を正確に切るには訓練が必要だ。
時に包丁の研ぎ方にまで及ぶ。
しかし、デジタルでは数値を入れてしまえば、誰がしても1センチにしかならない。
時代が変化し、アナログ的な技術がデジタルでは全て不要になった。
一方で、課題に気づき、対処するスピードが評価される時代にもなる。
つまり、準備をして、それをまとめて、誰もが見やすい形式にする技術は、アナログ的な要素で、その先にある「だからどうした?」という部分が求められる。
問題を最初に戻そう。
この商品、またバグがあるよ。
でも実際に商品は販売されて、市場で利益を生み出せている。
そしてそのまま放置されるのではなく、ファームウェアのアップデートがそんなバグを修正してくれる。
さらに2年も過ぎれば、新たな技術が生まれて、商品そのものが変わることもある。
例えば、準備を重視するあまり、確かにミスは少ないけれど、発売時期を過ぎた商品が飛ぶように売れることは期待できるだろうか。
国内の商品を待ってでも求めていた時代から、安価でも多機能な商品や高級で所有欲を満たしてくれる商品が街に溢れ、人はそれぞれの用途や目的に応じて選べるようになった。
本気で遊べたら仕事になる!?
昨日、そんなことを記事に書いた。
その真意は、自身が楽しいと思うことを多くの人に伝えられたら、もうそれだけの技術で仕事にできると言いたかったのだ。
手順や準備を知ること。努力して来たことを評価されるのも、実は結果を出す前段階の話に過ぎない。
つまり、結果というか、スタイルや形にできるところまで持って行くことが大切で、現代の教育もそれを学ぶべきだろう。
ゆとり教育という時代に、個性を磨かせるのではなく、自由に考えることでもなく、何を求められているか?を敏感に感じ取る教育が必要だった。
ちょっと面白いなともうのは、例えば100円ショップで買い物をして、それらで何かを作り、実際に販売して利益を上げる。
そんな経験をすることが大切ではないか。
もっと言えば、水道の蛇口から出る水を、何か工夫して、別の場所までどう水を運べるかを考えてグループで解決することだ。
それはつまり、本気で遊べるということにも通じる。