「広告」「芸能事務所」「プロデュース」の共通点と現代社会との結びつきの話

 「商品」のスペックをどう評価するのか?

今から、こみちが自力移動(走ったり歩いたり)だけで100キロ先の目的地まで行きたいと思ったとします。

まず、そこに到達できる体力が必要です。

走るのであれば、速く走るのではなく、長く疲れない方法を身につけることでしょう。

仮に1時間で10キロ進めるとして、それでも10時間掛かることになります。

スタート時点である程度お腹がいっぱいでも、流石に10時間も走れば、喉も渇けば、腹も減ります。

ということは、食べ物や飲み物の選び方も必要です。

汗もかいてしまうでしょう。

着替えを持参するなら、それを背負えるリュックがあると便利です。

両肩に通せるタイプと片方にしか通せないタイプ。さらに素材は革とナイロン系、どちらが適しているでしょうか。

ざっと100キロ移動する時に必要そうなことを書き出しました。

言い換えると、何をするにも、同じようにニーズと呼ばれるポイントがあって、できるならそのニーズに近い商品がより好まれます。

「広告」という意味

ある人気タレントが、ある商品を持って微笑んでいます。

そして、その商品の特徴を紹介し、たまたまそれを見つけた視聴者が買おうかやめようかと考えます。

企業は商品を作ります。

形のあるものないものは別として、それを知り、先ずは手に取って良さを確認して欲しいでしょう。

できるなら、どこが良かったのか、どこが悪く改善して欲しいのかを知ることができたら、次回にも反映させられます。

つまり、「何をすればいいのか?」が分かるということが、成果を発揮させる上でどれだけ価値あるものかはもう説明する必要などないでしょう。

そして「広告」の意味はいろいろあると思いますが、「手に取って品定めしてもらう」という意味でも大切です。

「芸能事務所」の役割

スカウトやオーディションを経て、昨日まで一般人だった人が所属タレントとして歩き出しました。

芸能事務所に入ったからというだけで、簡単に売れて人気者になれるとは限りません。

なぜなら、テレビ番組の制作者が、わざわざ新人タレントを調べて、「次回、出演して欲しい」と向こうからオファーしてくれるとは思えないからです。

つまり、芸能事務所の売り込みをする人が、取引先の担当者と会って、「今度、〇〇な新人が入りまして」と雑談のように「広告」同様にまずは使ってみて欲しいと紹介しているのでしょう。

利益を考えるよりも、まずは使ってもらうことが優先とするなら、初回の出演料は破格でも構いません。

視聴者から「あの人誰?」と気になってくれて、制作サイドも次回もまた出演して欲しいと反響を得られれば、今度はそのタレントの良さをより活かして売り込めます。

「どう生きるのか?」を考える時も

生き方を自己プロデュースする場合、自身の特徴や個性、売り込みできるものとして何があるのか考えることが大切です。

冒頭で紹介して100キロの移動も、それを達成したからと言って、何がどう変わるとも思えません。

でもそこに理由や物語があって、車でもなく、電車でもなく、自身の足で移動することに何か意味づけできれば、それは急に価値を持ちます。

つまり、どこの会社で作られたのかも分からない商品やいつどこにいるのかも気づかれないタレントがどんなに有能でも、「見つけてもらう」「価値を知ってもらう」ことができなければ、能力をどんなにアップさせても評価されることはできません。

言い換えると、みんなと同じことができる必要はなくて、むしろできないことに悩むのはあとでもいいはずです。

個性に自分自身が気づくこと。

そのために必要なことを始める。

そして、そんな自分に合った環境を見つけることです。

例えば、ラーメン屋を営み、毎朝3時からスープの仕込みをしているとしましょう。

仕込みの方法は、それこそ知識として得ればいいことです。

でも仕込みの方法を知っていることが大切ではなく、実際に毎朝3時から仕込みをしていることはポイントです。

知識を増やして、何を聞かれても答えられるだけでは、それこそインターネットの膨大な情報量を上回り、誰かが凄い人がいると気づいてくれたらまた別の話ですが、普通に考えるとやはり環境を手に入れること(ここでは仕込みをしていること)に価値があります。

ついつい知識や経験に意識を持ちますが、環境こそポイントにするべきではないか。

そして、そのためにはストーリーとなる背景があって、そこにどう価値を感じてもらえるのかを意識できれば、求めている環境を手に入れて、もっと生き生きと生きられるように思います。