「社会にどう役立てるのか?」をいう視点で生き方を模索したいという話です。

親との同居

現状、上手く回っているとは思えません。

両親も両親なりに頑張っているとは思いますが、現状を維持することができても、低下したら回復できる勢いもありません。

つまり、父親、母親が日常的に介護を要するようになれば、他方が全面的に支援することも難しく、それはつまりこみち自身が自身の未来と親の介護を担うことになるという切実な問題です。

じゃあ、妻はどうか。

ある意味で支援してくれることに感謝できますが、親のため、こみちのためという理由だけで引き止める理由はなく、もしも離婚したいと言われれば、それに応じる覚悟です。

何より、こみちが妻に対して幸せを届けられているとは思えないからです。

もちろん、できることはしたいです。

でも、親の介護が始まれば、状況は一変し、それこそ何のために生きているのか?という悩みもさらに切実さをますでしょう。

懸命に生きているのに、上手くことが運ばないという人をできる範囲でサポートするという話と、1ミリも譲ることをしない両親の生き方を見て、それでも支えるしかないという支援では、心の整理も全く異なります。

家族全員でもう一度話し合ってみたいと思う反面、以前と同じように質問に一切答えられない父親を再び見るだけになるとも思います。

「どう生きて行くつもり?」

「……」

「何か考えを言ってよ」

「……」

そんなやり取りの末に「分からない」とひと言。

じゃあ母親はどうか。

「お父さん次第なぁ?」

「ええ、お父さん?」

何も言えない父親を見ても、まだ父親を立てたがる母親。

それでは何も解決できないと告げたとしても、母親も本音ではどう生きればいいのか具体的に分かっていないのでしょう。

いつまで母親だって働けるとは限りません。

問題が少ない母親も、最近作ってくれる料理を見ていると、薄味を超えてほとんど味付けしていないことも。

昔から一切味見をしないで作るスタイルで、なので日によって味もバラバラ。

センスとタイミングで美味しい時もあったのですが、油と塩気が体に悪いと思い込み、料理でもやり過ぎなくらいにパサパサで何の味もしない料理が普通に出て来ます。

一方で、惣菜や揚げ物を買うことも多く、味のない手料理か揚げ物というパターンが続きます。

その根底にあるのは、両親たちのルールというか、スタイルで、それは継続するものという認識です。

父親は一家の大黒柱。

母親は家事をして家を守る。

でもそれらは時と経て、無職になってテレビを見て1日が終わる父親。

だから働き続ける母親は、疲れた体で品数だけを揃えたい料理を作る。

自身のプライドと居心地を変えられない父親は、家事を分担することができません。

常に母親に依存し、面倒を見てもらわないとできない人なんです。

「お母さん! お母さん!」

何度も連呼する父親がいて、何があったのか思って様子をみたら、両手が泡で汚れていて、水道の蛇口から水を出せずに母親を呼んでいるのです。

父親にすれば、泡で汚れた蛇口を後で洗うよりも、母親を呼んだ方が都合がいいのでしょう。

何もかもがそんな感じなので、自分たちの食器を洗ってもらうと、それを毎回食器棚に戻すことをルールにはできません。

なぜか途中で放置して止めてしまいます。

そこでこみちも同じように途中で放置してみたんです。

それを見てどう思うかと。

すると今朝、全ての食器を棚に戻していました。

でもココがポイントで、義務を果たせるということではなく、助けてあげたという貸しに思うから厄介です。

つまり、あの時に助けたから、何かの時は手伝って欲しいと。

大したことをしてもらっていないのに、お願いされることは1日掛かりの大仕事という風に、全くバランスを欠いたことだから、段々と何も言えず近寄り難い存在になります。

一方で、今のこみちはどんなに雄弁に語っても、自分のことで精一杯の状況で、両親のことを全面的に支える余裕もありません。

そっけない態度も増えましたが、まともに付き合っていたらまたストレスで体を壊してしまうでしょう。

その意味でも、既に家族としては機能を失い、崩壊しているのです。

それでもこのままではいけないので、何ができるのかと思うのですが、基礎を固めることもできないので、そこを起点に作り上げることも難しい感じです。

こみちにもできることは何か?

まず、「終わり」になってしまう期限が迫っていると感じます。

しかし、それを意識し過ぎると、不安や行き詰まりばかり感じて何もできないので、短期間の目標、長期の目標という具合にある程度の区切りを設けるしかありません。

例えばこみち自身は将来的な夢として、旅ランというチャンネルを運営したいです。

簡単に言ってしまえば、日本国内の見て回ることになるのですが、特徴としては原則「脚力」だけを使います。

つまり、走るか歩くかという移動方法です。

以前は、キャンピングカーやマイカー、バイク、自転車などを検討していたのですが、本当に知って欲しいことは楽して楽しんでいる姿ではなく、ある意味で無意味だけど、それでもそこに意味を見出して継続している姿です。

その準備と実行できる可能性を踏まえて、約2ヶ月前からジョギングを始めました。

最初は1キロでもきつかったのですが、歩きを含めれば20キロや30キロの距離を4、5時間掛けて移動できるようになりました。

運動が得意な人なら、それこそ2時間以内に走り切れる距離ですが、希望としては50キロ、100キロと距離を延ばして、全国各地を歩きたいです。

というのも、メンタルを壊して以降、マイペースに作業はできても、誰かと一緒にすることがとてもストレスで、分かっていることでも他人が関わることで数日前から落ち着かないくらいどこかで気持ちは回復していません。

働きたいという気持ちと、働きさえすれば悩みも消えると思うのですが、それを知っていてもできない自分がいます。

介護福祉士の資格を活かせば、パートでも時給で1000円以上の求人はたくさんありますし、上手く好条件を見つければ1400円以上も珍しくありません。

日当で1万円以上も十分に狙えます。

そう考えると、月に5万円を稼げない理由はありません。

でも、実際には思うように稼げていないのが実情です。

好きなイラストで、似顔絵を描くという仕事も自信がないのでできません。

描く自信というよりも、依頼者とのやりとりに不安があるのです。

マイペースで他人と関わらないことで仕事にできないか。

そう考えて出した答えが「旅ランチャンネル」という選択肢でした。