「経験」と「論理」と「人工知能」の不思議な関係って話

 突然ですが「物理学」は好きですか?

今はどこにもそれらしき名残りを感じさせませんが、こみちが一番得意だった科目は「物理」です。

苦手に感じる人は、物理の面倒そうな公式や論理に嫌気がさして、さらに拒絶反応まであるかもしれません。

しかし、簡単に言えば数学も含めて、ある条件が整えば、結果はこうなるという予測をするゲームです。

つまり、「1+1=?」は誰がいつしても「2」ですよね。

99%ではなく、100%起こることを考えるのが物理であり数学です。

難しい問題とは、でもちゃんと糸口を見つけて進んでいけば、物理や数学の問題である以上、謎解きゲームのようなもので、長さや面積、重さなどいろんな情報を集めることができて、最終的には問われている答えへと辿りつけます。

ビッグデータの役割

大手通販サイトやコンビニは、利用者から収集し作られたビッグデータを用いて、季節や時間、天候などの条件から、売れる商品の傾向を探り販売に活かしています。

100種類あるおにぎりを並べても、売れる商品と売れ難い商品、売れない商品があって、商売という意味では最も求められた商品ではなく、これだったら買ってもいいという誰からも外れない商品を並べた方が、売上に繋がります。

「今売れている商品は何ですか?」

人工知能にそんな問い掛けをすると、彼らはビッグデータから「傾向」を導き答えてくれるでしょう。

同様に、かつてはベテランスタッフが店にいて、この時期にはこの商品が売れているという独自の経験から陳列に活かしていました。

新人はそんなベテランスタッフからいろいろと教わり、さらに自身での経験をプラスして、売れ筋を肌で見つけるようになります。

ここでも物理や数学の流れがありますが、人工知能が人類の知能を超える日が来るのか否かを考えてももう意味はなく、なぜなら彼らのバックボーンは巨大なビッグデータという「絶えず正解とされる答え」を持っているからです。

「私はどう生きればいいの?」と言うような質問に答えることは難しいですね。

なぜなら、生き甲斐や倫理観などをどう理解し、そこから導き出すのかと言うのは、その道の専門家でも極められないことだからです。

そこで我々は多くの場合、パターンとして持ち合わせている方法を使って、例えば「何かやりたいことはないの?」とか、「旅行にでも行って来たら?」とどこかで聞いたような答えを探します。

人工知能の場合、「明日の天気は?」には簡単に答えられたのですが、さらに「どう生きればいいのか?」と言う一見難解そうな問いでも、「生きればいい」と言うワードで作られる文章をビッグデータから探してみると、傾向と対策導き出せます。

しかしそこに特有の答えなどありません。

なぜなら、万人が経験するであろう傾向から導き出しているからです。

例えば「どう生きればいい?」と言う質問に「オレと結婚してくれ」と言うような答えは出て来ません。

しかし、本来なら誰にでも当てはまることは学生時代の勉強までで、社会人になると良くも悪くもいろんなことが起こり、時に正解ではないことが優先されるものです。

それを物理や数学的に捉えて、「間違えている」と言い出せば、結果的に人工知能が得意としているビッグデータによる答えに近づいてしまいます。

つまり、人工知能が人類の知能を超えたのではなく、人類の知能が人工知能に従って来たということです。

ただ検索エンジンが高度化し、一見すると難解そうな問いをシンプルに分解し、ビッグデータに載せやすくできるようになったのでしょう。

クリエイターの仕事は無くなってしまうのか?

人工知能を使えば、高度なイラストや音楽も直ぐに作ることができます。

でも少し考えると、イラストや音楽にもパターンがあって、評価されやすい傾向を知ることができたら、支持される作品を作りやすくできます。

従来のクリエイターは、特に売れることを意識して、自身の世界観を押し付けるのではなく、視聴者が興味を持つギリギリのところで、ストーリー化し、ワクワク感を作り出しました。

つまり、そのギリギリが近いとコテコテになり、遠すぎるとシールを通り越して「わからない」になります。

学術的に絵が上手い、楽器演奏が上手いはより高度なレベルを問うた話ですが、売れるかどうかというのは、求める人との距離感に付きます。

童謡が、誰にも親しみやすいとするなら、若者層に支持される曲は、それ以外の年代にはピンと来ないポイントを使って制作されているからとも言えます。

「どこが面白いの?」と感じるのは、根底に「経験」が無いからです。

つまり、「あれか?」という距離感となる尺度がないと、人は理解することができません。

ということは、ビッグデータからの答え、つまり人工知能による答えを最も正解とする未来になると、もうそれ以外の経験を持たない人間は、それ以外の答えにも反応しなくなり、「人工知能の答えでいい」と思うようになります。

これは、ネット上の食べ物屋を評価しているサイトを見て、この店は美味しい、この店は不味いと思い込んでしまうのも、実際の経験ではなく、人工知能によって導き出したとも言える答えを信じた結果です。

なぜ美味しいのか。不味いのかを考えないようになると、そのサイトの評価だけを唯一の答えとして思考するようになるでしょう。

つまり、クリエイターがどんなに頑張っても、それを求める多くの人は、経験値をビッグデータから集めています。

となると自然に面白さやワクワク感すら、ビッグデータの答えが最適となります。

結論を出すなら、これから生き残るクリエイターは、多くの人に共感されるものではなく、少数派に響く作品を特有の感性で作り続けることです。

そして、似ているけれど、この作家さんはちょっと違うと自身が生活できるレベルで支持を集められたら、それがクリエイターとしての生き方でしょう。

多くの人が習得する技法を学び、学問としての正解を進むだけでは、いずれビッグデータの答えとも一致し、もう制作する理由さえ無いほど、大量の作品を人工知能が作り出します。

つまり、これからは個の経験が求められるでしょう。