帰り道、ケーキを買って来た!?
こみち家の両親とこみち夫婦の関係は、良好とは言い難い。
こみちにすれば、家族で決めたルールを守り、そこから全員で今後に応じた生き方を見つけたいと願っている。
一方で、両親は提案に賛同しても、三日後には忘れてしまい昔からの習慣に戻ってしまう。
一例を挙げると、今も現役で働く母親と10数年前から仕事をリタイヤしてしまった父親がいるのだが、老後を考えた時に父親の家事参加を少しずつでも習慣化して欲しいというものだ。
仮に元気な母親が動けなくなった時、経済面だけでなく、日々の買い物や家事など、父親が母親の介護までできるとは思えない。
今でも、帰宅した母親にお茶一杯を入れることもできず、「疲れただろう?」とも言えない父親に、なぜもう少し自分から準備に積極的ではないのかと苛立ちを覚える。
もう一年くらい前になるが、一人暮らしをしていた父親の妹が介護施設に入所した。
既に独り身だった叔母だが、これまでの住まいの後片付けができない。
「オレは足が悪いんだ」
父親は早々と自身の都合を持ち出し、実の妹の世話を拒否した。
既に期限も迫っていて、仕事もしていたこみちたちも都合がつけられる休日はそう多くは無い状況だった。
叔母の住む管轄の地域包括支援センターや行政の担当者に会ってアドバイスをもらうにも、たまにある休日を潰してこみち夫婦が動くしかなかった。
母親も叔母との仲が良いわけではないから、期限後にうち招くという選択には乗り気ではない。
前提として、独身の高齢者が一人で暮らせなくなった時、特に認知機能の低下が加わると、状況の説明や今後のことを伝えるのも格段に難しくなる。
「お父さんの妹だよ?」
こみちに手伝うことがあるとしても、父親が無関心でいいことはない。
こみちにすれば、最も関係が薄い妻が、あれこれと時間を割いてくれたことが本当に申し訳なかった。
「何かみんなに言うことはないの?」
保身しかしない父親に対して、こみちの心が離れていった出来事だった。
そんなタイミングで顔を出すのが母親で、「まぁまぁまぁ」と妙に出てくる。
四人は同居することにした時も、最初からこみちたちを当てにしないで、自分たちの暮らしは自分たちで考えてねと言った約束を承諾し、父親はいきなり仕事を辞めた。
「辞めて大丈夫なの?」
正直、こみちの立場としては安定した会社員でなければとは思っていない。
しかし、独立するにしても、事業を始めるにしても、準備期間や計画がないのはおかしい。
でも父親はそんな説明さえ家族にできなかった。
それこそ「芸術家になりたい」と言う世間的には驚くような夢だったとしても。
それこそずっと続けて来た趣味やライフワークがあって、年齢を考えて最後の夢としてそれに没頭してみたいと言うなら、まだ話は分かる。
でも蓋を開けた時に父親がしているのは毎日テレビを観ているだけだ。
「すまないな。お父さんはこんな風に静かに生きていたいんだ」と言えたら違う。
でも父親は母親に優しくはしない。
「おかえり」ではなく「腹が減って待っていた」と言う。
仕事で遅くなった母親が、悪いのかと思ってしまうのはこみちだけだろうか。
ただ、母親も不思議で、「仕事していた」と言えばいいのに、「ごめんなさい」と謝る。
そして父親は「まぁいい。早くしろ」とプライドを誇示させる。
その結果が叔母の件だ。
つまり、両親の間では不思議なやり取りが完結していて、その領域から出ることがない。
しかし対処しなければいけない叔母の様々なことを、「お願いします」と一回も頭を下げられないで、丸投げしてしまう両親に心が離れた。
「親子でしょう?」
母親の言葉だ。
「だから?」
持ちつ持たれつを家族の関係だとするなら、ルールを守ることは最低限マナーだろう。
一方的に言いくるめたのではなく、順序立てて状況を説明し、少なくともそれぞれの未来を守るためにしなければいけないと思う提案だ。
そんな中、妻が駅前のケーキ屋でケーキを買って来た。
「よかったらどうぞ!」
何かと殺伐とした雰囲気を変えたくて、妻がわざわざした行為だ。
「ありがとう」と言った母親に対し、無言だった父親。
こみちがたまたま妻の立ち去った後に耳にしたのは「あのケーキ屋は好きではない」と言う父親が母親に告げた言葉だ。
イラッとした。
でも堪えた。
何より、その日は無関心を装い見向きのしないと言う態度で、父親は自分のプライドを守ろうとする。
こみちにすれば、そんなことでプライドなど守れていないと思うけれど、父親は違う。
そして翌日、ケーキを買って来たことが少しみんなの注目から薄れると、冷蔵庫のケーキは無くなっていた。
「食べたら?」とでも母親がいい、「仕方ないなぁ」とでも言ったのだろうか。
父親だけになったら
それこそ意地を通して、自分で生きて行けばいい。
突き放しているのではなく、例えば料理にしても、スーパーには惣菜もたくさんあるし、自炊だって米さえ炊ければあとは適当にできる。
そうでないなら、自分から介護施設に入るか。
きっと母親はこみちではなく、妻に向けて父親のことを頼んでくるだろう。
これまでどんな態度を貫いたのかも忘れて、「家族でしょう?」と言う。
そもそも何がどうで家族なのか。
間違えていても自分の考えを話すことも避けてしまう父親や母親に子どもとして何を学ばせてもらったのか。
子どもの頃には気づかなかった両親の社会人としての評価。
それこそ家族でなければ、同居を解消したい。
妻との関係なら、互いを考えて離婚も議題になるだろう。
残念なことに、年々父親は老いている。
残された選択肢も減って、もう働くとか趣味を始めると言う段階はすぎてしまった。
生活は同じことの繰り返しで、それは誰かからの支援で保持されている。
母親に何かあったら、こみちにすがるしかできないし、それさえしないで情に訴えるだろう。
家族だから…。
本当なら父親のような人間は、今のようには生きられていない。
でも世話焼きな母親と結婚し、不満を言いながら父親の思うような生活をよしとして生きた母親だから、父親の望む生き方になっている。
こみちが冷めた態度を示しても、父親は自身の生活を顧みたことがない。
少なくとも、それが行動に現れたりしない。
そんな父親をつまらない人間だと思ってしまう。
好きか嫌いかではなく、その生き方を手に入れるための準備もしなければ、維持する策もない。
ずっと誰かに助けてもらい続けて、それが報われないと勝手に怒って不貞腐れる。
ただ凄いのは、そんな父親を呆れもしないで添い遂げる母親だろう。
二人でする分にはどうでもいい話だが、そんな面倒をこみちではなく、妻に託そうとしなければいいけれど。
施設に預けるにしても、月額20万円くらいは覚悟しなければいけない。
しかも放置された実家の後片付けなどを含めると、好みで生き方を選ぶと言う選択肢はあり得ない。
それに向けた父親の意思を今までどれだけ求めて続けたか。
でも父親としても、大人としても正式な場では喋ることができない。
こみちにすれば、逃げて逃げて、人として評価を下げたとしても自尊心だけを守り抜いた人生に見える。
そんな生き方にどれだけの価値があったのか。
冷たくされて、そうか自分がと思うことなく、むしろ相手を批判する態度に、母親以外で納得する人はいるのだろうか。