「高額時給」を勝ち取るために必要だと思うこと

 「犬の散歩代行」で

これはyoutube にアップされていた海外での話。

犬の散歩を代行して、年収1000万円以上を稼いでいる人がいるらしい。

一方で、「犬の散歩」を労働として評価した時に、あなたが雇い主ならいくら支払うだろうか。

例えばこみちなら、時給1000円なら普通にアリだと思う。

でも、1時間だけの労働で1000円稼ぎ、そのために移動で往復1時間を要するなら、実質的な時間給は500円となるかもしれない。

また、散歩中に犬を理由に何かトラブルが発生した場合の責任や過失割合なども含めると、時給1000円という設定で安心かはその他の取り決め次第だろう。

さらには、犬が歩きたがらないという時に、運動不足解消をどこまで担うのか、適切な排泄を管理できているのかなど、単純に犬を連れて表を歩けばいいということでもない。

なぜ「高額時給」が発生するのか?

お湯を注げば食べられるカップ麺でも、十分に空腹を満たせる。

でも、高級なレストランに行けば、一食数万円の料理だって出してもらえる。

その差はどこにあるのだろう。

思うに「信頼」ということだが、それが無ければ誰も高い金額を支払いたいとは思わない。

単純に「美味しい」という体験だけではなく、一緒に来店した人にも幸福な感覚を持ってもらえたり、そのひと時が思い出になる時間なら、そこに普段よりも多くの金額が発生したとしても、それで割高にはならない。

言い換えると、この世にある全てのことは、自分以外にもできる人がたくさんいる。

それこそ「湯を沸かす」ことだけなら、誰でもできるし、もしも時給換算するなら相場観をそのまま利用して決めるだろう。

一方で、「あなただから頼みたい」という付加価値が得られたら、そこには市場よりも高額な報酬に繋がる。

つまり、同じことをしても、ある人には高額時給で、ある人には平均的な時給ということが起こり得る。

肩書きや経歴が大切な理由

同じことをしても、そこで得られる評価は全く異なる。

人はそのものだけで判断しているのではなく、これまでの経緯にも関心を寄せる。

つまり肩書きや経歴は、期待値につながるし、そこには市場価値よりも高額な報酬につながる理由にもなる。

同じくらい上手でも、一回もしたことがないと、そこには不安しかないし、高額時給の査定にはつながらない。

だからこその下積みだったりする。

この人ならこれくらいできるはずだという実績が、正しく評価されるためにも、正当な方法を進むべきだ。

最近のyoutube を観ていても、演者としては同じでも、それぞれの業界で実績を残した人ほど生き残っているように思う。

また、創成期だった時代からyoutube で活動したベテラン勢もまた、これまでの活動で実績を作ったのだろう。