親子ゲンカはなぜ起こる?って話

 世話焼きな母親

「お米、まだ研いでいないんだけど…」

仕事を終えた妻に合わせて、昨夜の食事は午後9時近くになっていた。

既に両親たちの晩飯は終わっていて、父親はテレビ鑑賞、母親は風呂に入っていた。

疲れただろうと妻には食事後に自室へと戻ってもらい、キッチンでこみちが食事後の片付けをしていると、独り言のように米の話を始める。

実はこの日の夕方、母親はいつも以上に疲れた顔をしていた。

そこで「晩飯作るの大変なら、何か買って来るけど…」と提案したのはこみちだった。

最近、両親と不必要な会話を避けていたし、何なら気づかないふりをしても良かったけれど、それ以上に疲れた表情が気になって声を掛けたというのが本音だ。

すると母親は「惣菜を並べるだけだから大丈夫だよ」と言い、それを聞いたこみちは自室に戻った。

しばらくすると、キッチンから包丁を使う音が聞こえる。

簡単と言いながら、何か料理をし始めたようだ。

しかしそれを知って、何かアドバイスするつもりはなく、むしろ無理してでも料理を作ることが生き甲斐になっているくらいに母親のことを理解していた。

そして、「お米を研いでいないんだけど…」になるのだ。

時間を再び午後9時過ぎに戻し、こみちがキッチンで晩飯後の片付けをしていた時、風呂あがりの母親がキッチンに来て、冷蔵庫の扉を開けて中をゴソゴソと弄り出す。

「冷蔵庫に千切りキャベツがあるし、コロッケもあるし」と喋り始める。

「うん。分かったよ」

食器を洗っていたこみちが軽く返事をしたものの、母親の説明が止まらない。

「千切りはこのタッパーに入っているからね。コレね!」と。

いつもは朝、こみちが起きて冷蔵庫を眺めて、そのレパートリーを決める。

とは言えパターン化されてはいるけれど、コールスローを作ったり、オムレツを焼いたり、きんぴらを作ることだってある。

もも肉があれば唐揚げも作るし、醤油とみりんのタレにつけて焼くのもできる。

もちろん、キャベツの千切りも…。

母親に関して、例えば今回は冷蔵庫にシメジが4つもあって、なぜにそんなに同じ食材ばかりを買い続けるのかと思っていたりする。

だからこそ、止めどなく話続ける母親にどこか不安もあった。

今までそんなこと(冷蔵庫に千切りがある)で説明されたことなどない。

なぜって見れば分かることだし、逆を言えば、そこを気にできるなら朝食自体を作って欲しいくらいだ。

朝、文書を書いたり、絵を描いたり、いろんなことを一人の時間として使ってはいるけれど、休みの日もなく毎日朝3時から4時には起こる生活も楽ではない。

その分、母親も朝ゆっくりと起きられるということで、こみちの朝食作りが始まった経緯もある。

父親に米研ぎを頼めなかったのか?

どうしても風呂に入りたかった事情があるなら、ずっとテレビを観ている父親に米研ぎを頼めなかったのかと思う。

実際、その時もこみちが米研ぎをしたけれど、最速なら5分も掛からない作業だ。

微かな記憶では、父親も米研ぎくらいできた気がするし、それこそボケ防止にできることをしてもらう方がいい。

にも関わらず、母親は父親に頼み事ができないのだ。

理由は父親が面倒くさそうな態度を出すからだが、特に決まった仕事もしていない父親が料理を当たり前に食べていられるのは、誰かが準備しているからに過ぎない。

今後、両親の介護がまた増えれば、今のような生活リズムを保つことは難しい。

母親は父親に尽くしたいのか、自身のプライドなのか、背景は分からないけれど、父親を必要以上に特別視している。

今、こみちが最も大切に考えているのは、老いてからでも働ける自分を見つけることで、そのためにもいろんなことをしているし、考えてもいる。

ある意味で、若い頃の働き方をいつまでも続けることなどできないから大変なのだ。

父親は膝が悪くて歩くのが苦手だけど、最初からそうだった訳ではなくて、当時は膝の負担を減らすために運動しなければいけないという話だった。

でも、一切そんなことはしなかったし、食べることもやめなかったから、結果的に体重は増加し、膝をさらに悪化させることにも繋がった。

「オレは膝が悪くて働けないんだ」

もしもそんな言い訳を始めたら、素直に「それは大変だね。テレビを観ていて」と言えるだろうか。

100歩譲るとして、だとするなら座ってできる仕事を10年前から見つけるべきだ。

特に何もせずに年月だけが過ぎて、今はテレビを観ることと食べることしかできない父親になってしまった。

父親の弱さもあるし、母親の世話焼きも関係している。

「オレ、もうできない〜」

父親が甘える度に、母親は「仕方ないわね」と妙なタイミングで世話焼きをして来た。

生きていくためにも、そこはそうではなくて、頑張るところはあって、休むところもある。

でも、二人がしているのは、変なところで頑張って、変なところで休んでいるように見える。

そして、「頑張って来た」と言われても、こちら側も困ってしまう。

勤勉であることを自慢するのもいいけれど、その根底にはプランに沿った目的がある。

思いつきでその場だけ頑張っても、先など見えるはずはない。

でも母親に「もう言わなくていい」とこみちが説明を遮断したことも、「話を聞いてくれずに怒られた」としか理解できないのだろう。

親子ゲンカもできないから困ってしまう。