こみちどうなってしまうのでしょうか?
今の仕事に特別のやり甲斐がある訳ではありません。
将来性があるとも思えないし、その道を極めたら人生が豊かになるとも思えません。
しかし、精神的に躓いて、一般的な労働が苦しくて、でもそんな時でもその仕事は一人でも黙々と続けられるのが嬉しくて、これまで辞めないで来ました。
ただ、そうは言っても、見方のよればちょっとこみちの存在は邪魔者ではないかと感じます。
なぜって、お世話になっていた会社の部署が別の場所に移動することになったからです。
つまり、こみちだけが古い会社の社屋で、今まで通り仕事を続けるということになりました。
まぁ、時代はテレワークが当たり前なので、仕事さえキチンとクリアできていれば、どこで働いてもいいということでしょう。
もしも、こみちが逆の立場だったら、雇用の打ち切りを考えたはずです。
とは言え、こみちは雇用されている関係ではなく、あくまで下請けなので、依頼がなければ仕事にはありつけません。
そう考えると、要するに仕事を振りたくなければ自ずと依頼も減るでしょうから、こみちが考えるべきは続けたい取引先かどうかということに尽きます。
父親は湯を沸かし続けている!?
こみち家の内情は全く変化がありません。
計画を立てることも、問題点を改善する取り組みも、できていません。
父親は善意で湯を沸かしていて、母親はお節介過ぎるほど世話を焼きます。
良いところがないということではなく、出して欲しい所ではない時に、その気持ちを出してくれるのです。
夜、湯を沸かすことができるなら、キッチンのシンクまで洗ってくれると、こみちは食後の後片付けが20分削減できます。
みんなの食器を洗い、母親が料理で使ったフライパンや鍋を洗い、最後にシンクや三角コーナーの生ゴミなどなどを掃除しなくても済むからです。
しかし父親にできるのは、やかんに水を注いで湯を沸かすこと。
ポットを洗う訳でもなく、沸かした湯をそこに注ぐだけしかできません。
今さら、何をどうしろと話し合った所で、父親も母親も、もちろんこみち自身も変わることはできないのです。
職場の件でもそうですが、「迷惑かな?」と気を回しても、一方では変わらない生活を続けるしかできない人がいて、そこに挟まれるこみちはいつもどっち付かずのままです。
両親に今以上のお金を渡しても、それで何かできるのかと言うと、今の生活に変わることはないでしょう。
受け身の生活から変わろうとしないので、そこに変化も生まれません。
まぁ、好きに生きてもらうしか無いと思うことで、こみちもストレスを回避している感じです。