中高年になって気づいたことを静かに語るだけの話

 人生の目的とは何か?

「なぜ、生まれて来たのか?」と考えたことが何度かありましたが、自分にとっての答えは見つかりませんでした。

しかし、「誰かのため」と考えると「人生の目的」を見出せるかもしれません。

恋愛を経験すると、最初は「好き」という気持ちをどう伝えられるのか、つまり、自分の気持ちをどう尊重すれば良いのかに気付きます。

そして、恋愛そのものを通じて、「好き」という感情は「愛情」へと変化し、「自分がどう思うか?」よりも「相手が幸せかどうか?」をより重視するようになるのも、自分軸だけでは先が見えないからで、つまり「人生が他人のためにある」と考えました。

自分向き合うことの大切さ

就活などでは、幾度も自分と向き合うことを求められます。

具体的には「長所」や「短所」などを見返すことにも繋がります。

ここでも思うのですが、「自分はどんな人間になりたいのか?」と考えて、そのために必要なことを学んだり経験したりすることなります。

しかし、忘れてはいけないポイントがあって、自分が思う自分ではなく、他人が思う自分こそ、最も尊重するべき姿だということです。

例えば、グループでいつも「オチ」に使われるイジられキャラになっているとしましょう。

それでも輪の中に入れて、居られるならそれはそれで自分次第なのですが、「オチ」として使われるイジられキャラはあまり好ましい傾向ではないでしょう。

しかし、なぜそんな風に周りが見るのかと考えると、その人たちも見えないプレッシャーや焦りがあって、そこに立ち向かえない怖さと戦っています。

弱い人ほど、すぐに誰かを下に置きたがり、簡単に救われる方法に解決を求めます。

つまり、オチにしてイジるのは、その不安さを助けて欲しいと思うからです。

内心では、嫌だなぁと思うこともあるでしょう。

しかし、見方や考え方を変えれば、自分では気づいていない他人から見た時の自分がそこに居て、「助けてくれそうな人」とか「この人なら支えてくれる」と相手が思いやすいということです。

こみちは介護士をしていました。

知識や技術において、こみち以上に上手な人はたくさんいたのですが、こみちが多くの利用者さんと楽しく働けたのは、言い方を変えると「受け入れられる」特徴を持っていたからでしょう。

でもその特徴をどう身につけたら、人から声を掛けてもらえるのかは、意外と簡単な話ではなく、できない人には勉強よりも大変かもしれません。

つまり、自分のペースでできる時は、自身の考え方だけで結果が決まります。

しかし、社会に出てみると、相手からの期待や評価によって結果が変わることも多いのです。

「自分は何をしたいのか?」を考えることも大切ですが、「自分は何で活かさせるだろう?」と考えることも大切です。

いろんな世代、環境の異なる友だちがいることの大切さ

中高年と呼ばれるくらいまで生きてしまうと、人生がどんなものなのか、大半の人が気づきます。

でも、その時点では受け入れることはできても、大きく変えることはもうできません。

つまり、若い頃にどれだけ早く「人生の意味」を知ることが大切なのです。

そのためには、若い頃に中高年の人とも話し、「膝が痛い」とか「年金が少ない」といういろんな話題をいろんな人から聞くことで、共通するワードがあることや、どうやらそこがポイントになると気づくでしょう。

今はまだ若くても、生きていれば年を取り、いつか同じようなことを口にすると考えると、それを早くから知っていたら、生き方も違うはずです。