「正しい」ことだけではダメなこともある!?
朝、目を覚ましてリビングに降りて来た時、家族の誰かから「朝食あるよ!」と言われてどう思うだろうか。
もちろん、中には「今日は朝食があるんだ!」と思う人もいるとは思うけれど、大半の人は「朝だから、それはそうでだろう!」と思い、さらに「なぜ当たり前のことを?」と疑問に思う。
職場などでも、会議の席で「議事録を取りますか?」とわざわざ聞かれたら、「ん?」となったりしないだろうか。
議事録を残すことは正しいことで、でも正しいとしてもそれをそのタイミングで質問する必要はないだろう。
もちろん、状況として誰か担当するのか不明確な場合に、一応の確認として声かけるというケースもあるにはあるけれど。
こみちが両親と合わない理由
昨日はホワイトデーということもあって、こみちは母親へ、父親はこみちの妻へちょっとしたプレゼントを渡し合った。
こみちから声を掛けたことで、母親はそれをキッカケにすぐに馴れ馴れしさをグイグイと出してくる。
夕飯を食べる時に、母親が作ってくれた料理を一通り目で追って、味噌汁を温めた時だ。
「味噌汁あるから!」
少しは距離を戻したいと思っていても、そのひと言で「ん?」なってしまう。
さらに餡掛けそばの具を温めていたら、「おたま使う?」と聞いて来た。
まだ、先にそれから声を掛けてくれていたら、「大丈夫だよ」とか「そうだね」と笑顔で言えただろう。
でも、「おたま」のことよりも、傍らにずっと居ることの方がどうにかして欲しいことに思えてしまう。
再加熱されたフライパンを持って、皿に盛られた麺に掛けたいのに、なぜか意味なく立っている母親がただ邪魔になっている。
怪訝な雰囲気を出すこみちに対し、きっと気持ちを作って話し掛けた母親は不機嫌そうな態度になる。
「貴方がそんな態度だからこっちも…」
母親のような人には、「味噌汁あるから」と温めている時に言われても、「美味しそうだね」とか、「ありがとう。今、温めているよ」と返すのが大人の対応だろう。
でも、そんな態度をしていると、ご飯を茶碗半分盛っていただけで「寝るまでにお腹が空くよ!」と声掛けてくる。
ダイニングテーブルを照らす照明灯を勝手に明るくしたりと、世話焼きなのは知っているし、父親は甘えん坊でそんな母親のことが嬉しいのだろう。
でも、こみちにはかなりウザった。
目の前の料理見て、その後に冷蔵庫へと視線を動かした様子を見て、「ソース?」と聞いてくれる人なら、「ああ、違う。ドレッシングをね」と無げな対処などしたりはしない。
母親の場合、残りがボトル1センチくらいになったドレッシングを見て、新しいドレッシングを開封したりする。
「ええ? 今はそんなに使わないし」と。
たくさんあること。物質的に豊かであること。
もしかすると、80代前後の世代はこみちの世代よりもずっと大切に感じるのかもしれない。
例えば、こみちの感覚では、使い切ってから新しいドレッシングを回復したい。
弁当用に用意した「ふりかけ」は、できるならそれ専用にして、あと何回くらい使えるなとは把握していたい。
ところが、母親はそのふりかけを予定外なほど使ったりする。
さらに面倒なのは、別の種類のふりかけを母親の好みで買って補充したがることだ。
弁当用のふりかけは、妻の好みで決めたもの。
だからこそ、何でもいいということではない。
しかし、母親の認識では一緒に使って、無くなれば気分で選んだものを補充しておくでいいだろうということなのだ。
今は無くなったことだけど、妻と雑貨屋で見つけたお揃いのマグカップを、母親が「使いやすいね」と言って、勝手に使っていたことがある。
色違いの、しかも二つしかないという状況から、これはこみちたち二人がお揃いで買ったんだろうと想像できても、特別に勘が鋭いとは言われないだろう。
端的に言えば、感覚が全く違うのだ。
話し合って理解し合えるという段階ではなく、もしかすると「生きる」という感覚から違っているかもしれない。
「タイミング」はどう掴めばいいのか?
例えば、あるプロジェクトを立ち上げ、準備から完結までのステップを10段階に設定したとしよう。
途中から参加した人には2パターンあって、1から10までの流れを軽くでも把握して、今の段階に関わってくる人と、「何すればいい?」と流れは無視して、目の前の作業だけをしたがる人だ。
あるタイミングで、途中参加した人が思いつきこんな質問をする。
「〇〇ってどうなの? まだ早い?」と。
流れからすると、〇〇が必要ではないかと気づき、でももしかするとタイミングとしては早いのかもしれないと想像し、そんな言い方になった。
一方で、「〇〇しておいたよ!」と得意げに報告し、その結果、スペースが無くなるほど荷物が広がったままという状況が起こる。
「まだ早いって。どうするの、こんな場所を占領して」
「知らなかったから」と答える人は、タイミングを取るのが苦手な人で、簡単に言えば、手順や状況を把握できていない。
作業としては必要でも、手順としては間違えていて、スペースの面から手順として後にしていたことを、思いついたタイミングで始めてしまう。
例えば、こみちが食事をするために降りて来て、一瞬でも時計を見れば何となくなぜ降りて来たのか分かるだろう。
まさか、夜中に晩飯を食べるわけではないから、午後6時や7時くらいなら、「夕飯だろう」と思うはずだ。
そんな前提を省き、母親は「ご飯できているよ!」とか「食べるの?」と質問してくる。
むしろ、「それ以外の理由で降りてくることってある?」と聞き返したくらいだ。
そしてこみちが味噌汁を温め始めて「味噌汁あるよ!」と声掛けてくる。
完全にタイミングを取り間違えている典型だ。
母親だけでなく、タイミングが悪い人は、目の前の流れを追っている。
過去の出来事からではない。
だから、温めている姿を見て、「味噌汁がある」と思い出し、「味噌汁あるよ!」と場違いなことを言ってしまうのだ。
確かに、現在軸で考える人にとって、過去まで振り返るのは負担だろう。
でも例えばメンタルを壊してしまう人の中には、「今」だけを考えて苦しく思っているのではない。
過去に蒔いた種が、現時点で不作に終わり、未来にも芽を出す可能性が無いと知っているから、どんなに今が楽でも、その楽さの後に「どう種まきしたらいいのか?」と悩んでしまうのだ。
もちろん考え過ぎることが理由でメンタルを壊してしまうのだが、逆に「今」しか見ないと計画的な夢はなおさら叶わない。
少しでも、過去の流れに着目できたら、きっと今よりはずっとタイミングを掴めるはずだ。
こみち自身はタイミングの掴み方は、学習経験だと思っていて、計画を立てて、目的に到達するということ(宿題を予定の時間までに済ませる)をどれだけ身につけたかだと理解している。
家を出る時刻を決めて、そこから逆算し、何時に身支度を開始すればいいのかを考えられると、結果的にタイミングも掴めるようになるのではないか。
起きた時刻から身支度するというような流れには、過去を振り返る要素がなく、今しかない生き方になりやすい。
とは言え、こみちも天然タイプと言われる方だから、気をつけて行動しなければ。