「なぜ、人の不幸を喜んでしまうのか?」を掘り下げてみよう!

 あなたにとっての「不幸」とは?

中高年と呼ばれる年代になったこみちが思う「不幸」とは、「孤立」してしまうことでしょう。

介護業界では、「孤立」と「孤独」を別ものとし、「孤独」は単に一人という状況ですが、「孤立」はグループや社会から外れた存在を言います。

つまり、仕事を失えば、勤務先との縁は途切れてしまいます。

学校を卒業すれば、もう教室で授業を受けることもありません。

前向きな意味では、それが正常で、特に悪いことではないでしょう。

ポイントは、喪失されても補うことができない状況が「孤立」に近づきます。

失恋は辛いものですが、それをキッカケに夢へと進めたり、新しい出会いや挑戦があったら、いつか振り返った時に失恋したことも悪いことばかりではなかったと気づくはずです。

そう、「何をやっても上手い行かない」ということが不幸なのではありません。

「もうだめだ」と夢や希望を手放した瞬間に、「不幸」が押し寄せるのです。

逆を言えば、全てに満たされていても、その生活にトキメキが持てないと不幸なのかもしれません。

要するに、不幸か否かは気持ち次第だということ。

他人の不幸を喜んでしまう心理とは?

誰かが困っていると、実は内心で喜んでしまうことってないでしょうか。

特に自身の計画が上手く行っていない時など、「不幸」とは言えなくても「焦り」を感じている時は余計に他人の不幸や失敗に気づきます。

しかし、「不幸」の解釈と同じで、不幸かどうかは気持ち次第です。

活かせることなら、不幸ではなく、チャンスになるからです。

つまり、ある出来事があったからこそ、気づきがあって、始めることができたなら、それはそれでいいということ。

そうではなく、解決策も見つからず、ただただ苦しい状況に陥ってしまうから「不幸」になるのです。

「〇〇さん、〇〇だってよ」

そんな他人の不幸話をする人っていませんか。

話している人は、あれこれ想像して、困難な状況ばかりを見つけます。

「きっと大変になるはずだ」と。

でも、先にも言いましたが、解決策さえあって、対処できることは不幸ではありません。

例えば「今すぐ」は無理でも、「その時が来たら」解決できることって意外と多いものです。

「だからこうしよう」と自分なりの方法が分かっているなら、その予定を組み、その時に然るべき対応をするだけです。

ところが、「不幸」を呼び寄せてしまう人は、自分ではなく、他人の助けを先に考えて、「きっと誰も助けてくれない」と思ってしまいます。

上手く生きられる人の特徴

いろいろと試行錯誤して気づいたのは、「万全の準備」だけが成功の秘訣ではないということ。

つまり、将来のためには、「難関資格を取得しなければダメだ」と自身に難題を課すようなこと。

一見すると、そうやって「万全の準備」が大切に思うのですが、どうやらそれは間違いなのかもしれません。

といういうのは、「人生の目的」が「安泰」にあるからです。

つまり、「もうこれで大丈夫」と満足した時点で、人生の目的は終了です。

例えば20歳でその境地に辿り着くと、残りの人生は「繰り返し」しかありません。

実際には、成長とともに価値観も変化するので、20歳で完結してしまう方がレアだと思いますが。

高齢者の場合は顕著で、趣味や生きがいのある無しはその人の表情や日常を大きく変えます。

それだけ「これだけでいい」と守りに入ってしまうことが、不幸を呼び寄せてしまいます。

些細なことでもいいので、変化させる気持ちや変化に気づく姿勢があると、それだけでも幸福を感じられるでしょう。

他人から見て「不幸」だとしても、本人がそう思うことはなく、むしろその状況でも夢や希望を抱いて生きていたら、「幸福」になれます。

そして、「幸福」な人は、その時不完全でも、周りから支援されたり、協力者が現れたりします。

頑張っているからではなく、支援したい人も「幸福」に向かって生きていて、誰かのために働けることで自信や存在意義を感じられるからです。

しかし、「私は不幸です。誰か助けて!!」と騒いでいると、そこには支援者にとっても意味合いが変化し、「なぜ、丸投げですがるのだろう?」という思いが過ります。

「できることもしない」という人は、些細なことでも「不幸」にしてしまいます。

それが「こんな風にしたいです」という自分で考えられる人は、行動に移しているでしょう。

そして、その姿を見て「大丈夫?」と言ってくれる人はいて、「頑張ってみます」という笑顔が、「頑張って。何かあったら手伝うから」になるのです。

こみちの決意を少しだけ

いろいろと考えて、こみちは「旅」と「絵」と「文章」と生きて行きたいです。

それ以外を排除するということではなく、それらを自身の中心に据えて生きて行こうと思うのです。

だからこそ、画力をアップさせたくて、ここ数年は定期的に絵を描いて来ました。

幸いなことにyoutube でもそんな試みにチャンネル登録してくださる人が現れました。

しかし「絵が好き」ということが、こみちの伝えたいことではありません。

「自分はどうしたいのか?」ということを行動することで形にしなければ、何も始まらないのです。

そのことに気づきました。

「ああ、こみちはこんな風に絵と関わって行きたいんだな」と知ってもらえることが大切なんだと。

ジョギングを始めて、自分の足で10キロ20キロと走ってみて、その楽しさはやはり色褪せていませんでした。

旅の原点だと思っています。

そんな風に空想していると、あれもしたいしできるかもと楽しくなります。

そう、不幸でもなんでもないですよね。

「希望」があるので。

言い換えると、その希望が叶った後が大切で、「安泰」にしてはいけません。

必ず、誰かのためになるようにしないと、そこでこみちの人生が行き詰まります。

だから簡単に夢って叶わないですよね。

人生が終わるというか、燃え尽きてしまうから。