「良い大学に進む目的とは何か?」から学ぶこと

 「良い大学」とは何か?

こみちが若かった頃、良い大学は良い会社への案内所でもあった。

良い会社とは、いろんな経験が得られて、福利厚生もしっかりとした会社を指すだろう。

例えば、デザイナーという職業に就いて、地域向けのパンフレットを手掛ける仕事を任されたとしよう。

そのパンフレットは、特に地域に在住する人が読み、町の役場などで手に取ることができる。

年間スケジュールや季節ごとの特集があって、町議会の会議内容なども含まれる。

デザイナーとは言っても、文字組みから打ち合わせ、原稿の管理と仕事内容は多岐にわたる。

新しいキャラクターを発想に合わせて描けばいいということではない。

しかし、無名のデザイナーが独立し、何のツテも使わないで営業を描けると、得意な分野だけで仕事を得るのは難しい。

例えば、英文に長けているとか、医療でも貿易でも、他の人と被らないような専門分野があると、キッカケにできることもある。

では現代における「良い大学」とは何か。

こみちが思うのは、「環境」ではないだろうか。

同じ目標を掲げる仲間を見つけ、学習の中で同じように成長し、社会へと羽ばたいて行く。

大学と言っても、実質的には2年とか3年という時間しかなくて、新入社員であれば、やっと与えられた仕事をこなせるようになった段階だろう。

仕事のやり方や手順を見直し、新たな提案をして、今までと異なる方法にしたいと思うのは、もちろん成熟度合いにもよるけれど、3年くらいした後の話ではないだろうか。

つまり、大学時代の数年で学ぶことは、まだ個人的なこだわりの段階ではなくて、それこそ学生時代に司法試験に合格するというような、目標として掲げやすい内容になるはずだ。

もちろん、司法試験はとても難しい試験だけど、試験に合格するということよりも、例えば弁護士として社会の正義とは何か?に自分なりの答えを見つける方がずっと社会経験を問われるだろう。

ある人が法に触れるようなことをした。

でも、その人の幼少期は一般家庭と大きく異なり、適切な時期にしっかりと愛情を受けることができず、いつも自分で考えて乗り越えるしかなかったとする。

そして、自分としては大丈夫ではないかと甘い認識が元で、結果的に法に触れた。

さて、私利私欲があって法に触れたケースと何がどう違うだろうか。

試験で問われるような100%の正解なら、学習で補える。

しかし、実務になると、なおさら正誤の判断など簡単にはできない。

言い換えると「良い大学」が、良い会社への道標ではなくなったとするなら、なおさら「4年間」という時間をどんな環境下で過ごすのかに尽きないだろうか。

例えば、大学に異国からの留学生が来て、教授陣は各業界を熟知した存在で、国からの支援もあって、もちろんクラスメイトになった仲間たちは個性的で夢を持っている。

そんな環境の中で、それまでを過ごした高校生時代とは異なる可能性を得ることになったら、夢や理想だった話が一気に現実味を帯びたりはしないだろうか。

もしもそうならば、今は日本国内の市場よりも、海外の市場が大切になっていて、自ずと視線も国内向けだけを基準にするべきではない。

つまり、大学で学ぶことが、異なる文化や環境下でも通じることであって欲しい。

地方都市で暮らす人は、その暮らしに満足しているだろう。

しかし、「東京」という街を知らなければ、もしかするとそこにしか無いことを知らないまま生きているかもしれない。

同じ「東京」でも、浅草のような街と新宿とでは違うし、八王子になるとまた違う。

でもそれら全てが「東京」で、人によってはその一部をすべてのように語るだろうし、全く経験しなければ、これまでの経験から想像するしかできない。

世界に視線を向けると、「ニューヨーク」や「北京」、他にも沢山の都市があるけれど、行ったことがなければ、そこで何がどんな風に行われているのかもわからないのは当然だろう。

つまり、「良い大学」には、その全ては不可能だとしても、そんな環境下に通じるスタートラインがあるだろう。

社会人になって「〇〇大卒です!」と聞くよりも、「日本市場では〇〇だけど、例えば〇〇では…」というような経験基づいた話ができると、ちょっと意味合いが違って来る。

今、チャットGPTが英文も簡単に作ってくれるけれど、AIができるのは「作ること」であって、「リーダーになること」ではない。

つまり、「英会話できます」というスキルは、今後もしかするとアプリでもカバーできてしまうだろう。

そうではなくて、いろんな環境下を知り、だからどう思い考えるのかが、問われて来る。

そのためには、よりいろんな環境下を知ることが大切で、特に若い頃に得た経験はその後の人生にも長く活かせられる。

中高年になって、そんな風に感じることが多い。

そしてできることなら、一本、自分が自信を持てる仕事を見つけることだろう。

職業でも良いし、特技でも構わない。

それを活かして稼げることができれば、それを基点に人生プランが余裕を持って立てられるからだ。

どんな業界でも、根底は同じ悩みを抱えていて、できない会社ほどその悩みを簡単に解決できると思っている。

10年、20年と職人として活躍された人の仕事は、キレイというひと言で片付けられるものではなく、飽きるほど繰り返す中で、さらに発見し、改良が加えられ、だからこそ簡単に品質が崩れない。

器用な人が、その技を90%までできたとしても、次もまた同じ品質でできるかは分からないのと同じで、結果的にできたということはあっても、仕事を請けて確実に熟すのはプロでなければできないことだ。

その意味では、「そこそこ」ではなく、「絶対の自信」でできることを一つだけ見つけるのが、人生を楽に生きられる方法だろう。