同居に対する最低限の配慮って
些細なことですが、キッチンの蛇口が「原水」なのか「浄水」なのかでも違います。
空き瓶を食器洗浄器に入れるかどうかも。
あまり掃除が好きではないこみちは、必要以上に汚したくありません。
つまり、綺麗に下洗いしても、時に洗浄器が汚れてしまうことの方が気になります。
一方で両親の方は、濡れた瓶を拭くことが面倒だと感じ、乾燥させれば何の懸念もなくなると思うのでしょう。
最近、家族4人が揃って晩御飯を食べることは減りました。
一緒に食べていても、楽しくないからです。
しかし、今までなら午後8時には終わっていた両親の食事時間も、その時間ではまだ途中です。
急ごうとか、待たせているという感覚が薄いのと、食後の後片付けを全て母親だけに任せているからもあるでしょう。
とは言え、両親の使った食器を洗うこと、翌日の米研ぎをすることではありますが…。
時間を決められて急かされるのが嫌いな母親は、根っからのマイペースな人で、思いつくと床掃除を始めてしまうくらいのテンポです。
父親は面倒な役回りが嫌いで、評判を落としてでも楽な生き方を選びます。
今回の話で言えば、父親は食事をするとテレビの前に座って、後片付けを全て母親に振ってしまいます。
補足をするなら、両親の年代における「嫁にもらう」という感覚は、「人生のパートナーを得る」ではなく、「自身の代わりに働ける人」なのかもしれません。
つまり、家事は妻の仕事という感覚が強く残るのは、そんな意識があるからでしょうか。
しかしながら、父親は年金暮らし。無職です。
毎日、必ずしなければいけないことは何もありません。
一方で、母親はまだまだいろんなことが義務になっていて、時に不満が重なり父親へ口出しすると、父親は自室に篭ってしまうの繰り返しです。
数日前にもそんなことがあって、しばらく父親がリビングに出てこなかったのですが、今はWBCを観て、ああだこうだと楽しんでいます。
妻が「大谷くんってカッコいいですよネ」と話題を振れば、父親は試合開始からずっと観ていたのでしょう。「敬遠されてネェ」と得意気に話ます。
その頃、キッチンでは背を丸めた母親が食器を洗っていたのですが、こみちにとっては母親に嫌なことを押し付けて、自分だけ救われようとする父親の生き方が受け入れられません。
食器洗いをササっと済ませて、妻である母親と一緒にテレビを観るという気持ちにならないのかと。
老いると暮らしはどうなるのか?
老いて来ると、処理する速度も遅くなり、効率的でもなくなります。
同じ作業をゆっくりとこなし、同時並行ではなくなるので、作業時間がどんどん上乗せされてしまいます。
母親の家事を見て、「まだしているの?」と思うことも多く、こみちと同じ内容を2倍3倍掛けてしまうことも珍しくありません。
時間がかかり過ぎるので、途中の作業を手抜きし、例えば料理を作る時に「味見すること」を省いたりします。
2倍だった時間を、1.5倍にできたとしても、全く味のしない料理を作ってしまいます。
母親だけをみると、歳を取ったなぁと感じます。
一方で、その大変さを背負っている母親には、頑張っていると思います。
しかしこみちと妻との会話では、「改善策を話合わない母親」に指摘もあります。
「我慢しているだけ」では何も変わりません。
事実、父親は何もしない生活に戻ってしまいました。
唯一の習慣だった「湯を沸かすこと」も、「して当たり前」から「して褒められる」に変えたほどです。
当然ですが、こみちとの距離はますます広がり、それこそ協力し合うという感覚にはなれないでしょう。
折角のWBCで盛り上がっていても、同じテレビで観たいとも思えないのは、「苦労を分かち合えあていない」という根っこが拭えないからです。
多分というか、このままだと、父親は全ての煩わしいことを放置して死去するつもりでしょう。
実家の放置された荷物を片付けることもしないで、母親の介護が必要になってもできないで押し切るつまりです。
一方で、自分の介護は最後まで母親にしてもらうつもりでしょうし、自分から介護施設に入り、家族の負担を減らそうとは思わないはずです。
結果的に、そうなってしまうにしても、自分で汚したトイレの床を拭くということくらい、できないはずはないでしょう。
洗った食器を洗浄器に掛けたとしても、乾燥したら食器棚に戻せるはずです。
以前は食事棚には戻していた父親ですが、家族の誰かがしてくれると思って、しなくなりました。
プライドというのか、最低限の配慮さえ段々と甘えだけになっています。
話し合いできない母親は、そんな父親を許すことで、自身の存在を感じていて、つまり傍目には苦労を背負っている母親ですが、嫌なら嫌だと言えばいいだけで、我慢していることだけが全てではないはずです。
でも、そんな姿に自己満足があったり、他人から尽くしている妻と評価されるのではと思ったりがあって、不思議ですが両親の間ではWinwin になっているのでしょう。
結局のところ、問題があってもそれが解決できない原因も含まれています。
こみちにすると「何で?」と思うことも、両親にとっては「意味あるんですこと」で、どうしようもない問題になった時に、その時にできる解決策で対処するしかできません。