体調不良を訴えた父親だけどという話

 数日前から

父親の健康状態が悪化しているという。

めまいや吐き気があって、日常生活に支障があるらしい。

それで、仕事に出た母親には、何度も体調不良を伝わる連絡をよこし、予定を早く切り上げて帰宅させるということにもなった。

体調不良の時、気持ち的に不安なのは誰しもだろう。

孤独になることを恐れて、親しい人が側に居てくれたらと思うのも理解できる。

一方で、大人になって来ると、時に孤独を強いられるし、誰でもなく本人が克服するしかないこともある。

父親の行動は心理的には理解できるけれど、大人として考えた時に唯一の選択肢だったのかは疑問だろう。

本当の課題から外れて

少ないながら、父親には「湯を沸かす」という家事があった。

しかし、めまいや吐き気があって、数日間は家事もできなかった。

そんな父親が、「湯を沸かしたから、熱いからな!」と説明している。

そんな普段と変わらない行動に、段々と距離を感じてしまうのは否めない。

父親は「頑張ったね」と言って欲しいのだろう。

めまいや吐き気に対して、心配して欲しいとも思っていたはずだ。

しかし、心では気にしていても、「大丈夫なの?」とは言い難い。

なぜなら、父親はそれを待っていて、「承認された」と満足するからだ。

めまいや吐き気の原因を素人判断して軽視するべきではない。

しかし、日常生活の習慣のどこかに一因があるとするなら、その可能性に繋がる行動を見直すことも有益だろう。

だとするなら、3食を食べて、湯を沸かし、あとはテレビを観て過ごすという生活習慣に問題はないだろうか。

健康的な人でも、長い時間を横になって過ごすとフラフラした感覚になることがある。

寝不足も健康に影響するが、過度な睡眠も身体の不調に繋がるからだ。

夜間の場合、こみちは睡眠5時間から6時間で、時に4時間を切ってしまうこともある。

理由はシンプルで就寝時間が遅くなると、起きる時間が固定されるから睡眠時間が短くなってしまう。

ジョギングを始める前は不安感も強くて、深夜2時に目が覚めてしまい、あれこれと考え込んで眠れなくなったりもした。

しかし、目が覚めるのは改善されていないものの、日中の活動量を増やしたことで、心身ともに改善の兆しがある。

全く運動から遠ざかっていた状態から、5キロ、10キロとジョギングを続けるのは、中高年としては急過ぎる行動かもしれない。

とは言え、日常的に新しい生活習慣を見つけたことで、もっと言えば、スマートウォッチやランニングシューズを手に入れて、それらを活用することで楽しみを手に入れられた。

それが正しいとは言わないけれど、めまいや吐き気を理由に仕事中の母親に何度も連絡してしまう父親はちょっと考えさせられる。

これが、母親に医師としての知識があって、すぐにでも診察してもらいたいというならまだ話が違う。

また、立ち上がることもできなくて、トイレにも行けないほどだというなら、すぐにでも側に居て欲しいだろう。

とは言え、その時に母親が帰宅してもできることは限られていて、何なら父親を病院まで連れて行くことくらいだ。

父親の再三にわたる訴えに、母親はとても不安がっていて、父親の健康状態を家族としても見守って欲しいと言って来た。

夫婦として、それが望ましい生き方なら、それはそれで尊重するべきだと思う。

しかし、父親が「苦しい」と言えば、すぐにでも駆けつけて「大丈夫?」と声を掛ける習慣は変だ。

実際、父親は一食だけは拗ねて食事を取らなかったけれど、翌日から欠かさずに食べているし、昨日もテレビの前で横になり、何不自由ない時間を過ごしていた。

本来なら、健康に不安感を感じ、そこから脱した時に、母親が夕飯の支度をしていたら手伝うことを考えるのが本当だろう。

そこには、自身がそうである体験を、他人にも起こり得るとして、助け合うことを知るからだ。

しかし父親は満足そうにテレビ鑑賞をしていて、仕事から帰るとすぐに母親は夕飯の準備をする。

ため息が癖になり、状況判断が衰えてきた母親を見て、「何か手伝わせて欲しい」と言っても凄くはないだろう。

「手伝うよ」ではなく「手伝わせて」というわずかな違いだけど、発した人の心理は全く別物になる。

ところが、父親はそんな言葉の違い以前に、手伝うとも言わずに、テレビを見ていられるのだから、他人のことよりも自身のことを優先的に考えているのだろう。

当たり前に作ってもらった食事をして、テレビを観て笑っている。

そんな父親を母親はどこか幸せに感じているのなら、夫婦としていいんじゃないかとしか言えない。