「物忘れをする?」という話ではありません!
認知症というと物忘れをイメージするかもしれません。
確かにさっき食べたご飯なのに、その行為全てがそっくりと抜け落ちていたら、診察してもらうといいでしょう。
しかし現実的には、そんな教科書のような状況はかなり進行している段階で、家庭内では「ん?」と思うような行動から始まります。
昨年あたりから、母親の買い物はパターン化されていて、「嗚呼、ピーマンを買わなきゃ!」と思い出したものを買って来ます。
なので、冷蔵庫に同じピーマンの袋が2つも3つもあったり、買い置き用のマヨネーズやソースは半年分以上備蓄されています。
それだけではなくて、賞味期限の迫った、若しくは過ぎた商品を「冷凍」します。
食パンや生肉など、それこそ解凍後に再度冷凍することも珍しくありません。
最近作った肉じゃがも、味がおかしくて、数日間、冷蔵庫に保管されていました。
食べ切れないのであれば、可燃ゴミに出すこともやむを得ません。
しかし、捨てなければ、食べもしないということが起こり、「これ、期限を過ぎているよ!」と指摘することや、抜き打ちで捨てることも始めました。
ただ、管理していると思われると、全く人任せになる性格だと分かり、手を出すタイミングがとても難しくも感じます。
小さなストレスは頻繁にあるのですが、今朝もポットの湯が残っていないのに、使ってそのまま放置していました。
別にそれはそれで良いのですが、タイミングが違うと、湯を沸かすから洗い物に使えとか、「沸かさないと…」と指図して来るのです。
「そう思うなら、やってよ!」と言いたくなるのですが、なぜかやらせるのはできても、黙ってするのは損している感覚のようです。
こみちはポットが面倒なので、使う分だけ沸かせるティファールを使いたいのですが、電気代が掛かるとか何だか言って、やかんを使うことから離れられません。
じゃあ、誰が沸かすのかとなると、管理できない両親なので、朝方の慌ただしい時間帯に不足が発生します。
沸かしていて、なんでこんなに慌ただしくしているんだと思うほどです。
湯を沸かすだけなのに。
しかも早朝はまだ残っていて、母親が急須でお茶の飲んだタイミングで、湯の温度が低いとか残りが少ないとか気付けたでしょうし、沸かすこともできたはず。
実を言えば、それも良いです。
こみちが沸かせば良いだけなので。
でも今朝は湯を沸かし始め、それを待つ間、母親が近づいて来て「湯を沸かしているの?」と話し掛けて来ました。
以前は見たら分かる時でも、「そうだよ。ポットの湯が無くなったんだ」といちいち説明していました。
しかし、疲れてしまうと、見て分かることを説明するのもストレスです。
それで本当に大切な時でなければ、取り合わないことも増えました。
「大変そう!」
相手にしなかったので、母親は捨て台詞のように言い放ち、どこかに行ってしまいました。
その後、妻が仕事に出掛ける時に玄関で何か起こります。
こみちが行ってみると、ゴミ出しを妻に押し付けている所でした。
「外に行くんでしょう? ゴミ捨てしてよ!」と。
ゴミを捨てることの是非は置いておいて、朝時間のある母親は何をしているのでしょう。
「忙しい忙しい」と言いながら、まだ起きて来ない父親の部屋にも入ったりして、でも特に何かしているとは思えません。
そんな姿が目に付き、段々と母親に認知症が始まったのではと心配になります。
認知機能の低下(ここでは状況判断ですが)という意味で。
しかもまだ仕事をしているので、勤務している会社で迷惑を掛けていないのか余計な心配までしてしまいます。
父親だけでなく母親までも家にいるとなれば…
介護施設を利用できる介護認定を受けられるまで進めば、逆に手は掛かりません。
しかし、一見では普通に見えるからこそ、何をするのかわからないので大変です。
認識の違いではありますが、母親がまな板を使わずに、キッチンの平なところで果物を切っていたのを知った時に、キッチンが傷つく以前に大丈夫なのかと心配になりました。
妻に相談したら「前からだよ」と言われて、「知ってたの?」とこみちの方が驚きました。
数年後とは言わず、一年先でもどうなっているのかも心配です。
何より、話し掛けて来ても無視されることに対し、「意地悪されている」という感情になってしまうことが懸念です。
介護施設では認知症の高齢者が介護スタッフに暴言や暴力を振るケースもあります。
なぜ拒絶されるのか、母親は自身の言動を省みないので、結果的にすれ違いが増えてしまいます。
でも、省みれないと判断して手を差し出せば、受け入れられたと思ってしまう楽天家で、こみちのストレスばかりが蓄積されます。
好きなようにしかできないので、あれこれ言っても無駄だからです。