岡田斗司夫さんのチャンネルでも
ラジオでも聴いている感覚で、岡田斗司夫さんのyoutube チャンネルを視聴している。
「生きることへの悩み」に関する話題で、若い相談者に「早く年を取ればいい」という流れがある。
10代や20代、これから未来のある人たちにとって、「どんな人生を歩めばいいのか?」と悩みは尽きないだろう。
「生きる」ということを本能的に捉えるのではなく、理論的に言語として落とし込むのは、簡単なことではない。
1から10までを人生の目標とするなら、その全てを日常の努力で到達した人は意外と少ないだろう。
つまり、全く経験のない分野に、大人になって出会い、しかも全てを手探りで掴みながら、ある一定の所まで到達するということだ。
振り返るとこみちにとっては、介護職がそうだった。
数年前に何をどうして生きて行けばいいのか分からなくて、それまで考えたこともなかった介護職に踏み出した。
3日だけ、半年だけ、1年だけ。
そして3年を超えた。
ここでは省くけれど、仕事同様に、人間関係でも学ぶことが多かった。
それまでの職歴で得た経験とは異なることも多く、ただいい人に恵まれたからこそ、3年を超えて働けたのだと思う。
例えば、介護福祉士という国家試験があるけれど、試験そのものはしっかりと勉強すれば一回とは言わなくても、必ず合格することができる試験ではないだろうか。
しかし、働きながら臨むことが多い試験でもあり、夜勤もして、昼間も働き、仕事に合わせて家事や家族との関係性にも気を使いながらとなれば、そこに試験勉強を新たに加えるのは簡単ではないだろう。
年末年始や大型連休などもなく、毎月のシフト表に合わせて生きることを、考えなくてもいいと思えるか、合わせるのが辛く厳しいと思うのかは、本人の意識次第になって来る。
こみち自身、介護職への挑戦は、きっと人生の最後の挑戦になり得ると思っていた。
これからも挑戦することはなくならないけれど、介護職のように長いスパンを、その為に合わせて生きることはもう無いかも知れないからだ。
1から10まで、介護福祉士の有資格者になることでは、一段も飛ばすことなく、毎日の悩みや葛藤と向き合い続けて、登り切ったと思う。
しかし、そんな体験を全ての人がしているとは限らない。
なぜなら、人は始める前に、その仕事が向いているかどうか考えるだろうし、そもそも適正がないと思った仕事に就く人は少ない。
巷で見かける「軽作業」という類いの作業も、「作業」そのものは誰にでもできるけれど、継続し一定の品質を保ち続けるのは簡単ではない。
しかも場合によっては、同じくらいの努力や忍耐が必要なのに、難関資格を取得する方が価値あるように見える。
価値があるのではなく、「価値あるもの」と社会的に決めたからだ。
医師という仕事を価値あるものにしているのは、人が長生きしたいと思うからで、それを叶えられるかもしれない人だから、社会的に評価されるべき仕事になった。
そんな風に考えると、生きる時に不要な仕事などなくて、「価値」という意味では差などないだろう。
でも、人間の作る社会には、あえて凹凸のような価値あるものとそうではないものを作り、価値あるものに憧れる仕組みを与えた。
同じだけの資本と社会的環境、挑戦できるチャンスが与えられるなら、今は無名な人でも時代をリードするような社長になれるかもしれない。
つまり、才能のような話の前に、仕組みによって作られたズレがあって、「10」の努力で「1000」になることもあれば、「1」にもならないことがある。
若い人が思う将来への悩みは、自分が「10」や「100」になれるだろうかという不安感もあるだろう。
それだけ有能なのか、努力できる資質なのか、そもそもそれに向かうだけの覚悟があるのかと考えているのかもしれない。
でも、結果としての「10」や「100」というのは、本人の努力のバロメーターではなく、社会的評価の指標による所が大きい。
例えば同じ4年間を「大学生」として学んだとしよう。
東京でそれをした場合、大学での学びの他、街から受ける経験もある。
こみちのような地方出身者が、ずっと地元で生きていたら、訛りもその地域独特の習慣や風習も「全国共通」になるだろう。
それが悪いと言っているのではない。
ただ何かを学ぶ時に、どこかどう基準なのかを知らなければ、学ぶべき場所もあやふやになるからだ。
「夏になったら…」
疑うことなく続けていたことが、実はその地域特有のことだったりする。
全国的には全くそうではないのに、それが特別大切に思うのも、その場所だけで生きて来たからだろう。
同様に、日本を離れて海外で生活すれば、日本では当たり前のことが全て「その地域のこと」になるだろう。
つまり、若い人が思う将来への不安は、努力をする「場所」選びもポイントになる。
生まれ育った場所が合っている人も、東京や大阪がいい人も、もしかすると海外に出た方がいい人もいる筈だ。
そんな意味では、老いたこみちが感じる将来への不安感や違和感は、若い人たちのそれとは異なっている。