「精神疾患」について気づいたことがあるという話

 「精神疾患」にも沢山の種類と原因がある

「精神疾患」を脳のバク状態と考えるなら、ソフト的なバクもあれば、ハード的なバクもある。

つまり、同じように扱われるものでも少し深掘りすれば、その対処が全く異なっていることに気付かされる。

一般的に薬物療法と運動療法があって、早い段階であるなら積極的に運動療法を実践して欲しいと思っている。

そもそもなぜ精神疾患になってしまうのだろう。

こみち自身、専門家ではないからここからの見解に何の根拠も無いのだが、ただ自身の体験と対処から感じた話をしてみたい。

こみちの場合、現在の精神的なバクを感じたのはコロナ禍の時期と重なる。

生活環境が大きく変化して、さらにいろんなことが重なり、不安感や倦怠感が強まった。

何度も書いているが、こみち自身はその状況に気づけず、妻の声掛けによってメンタルの異常を感じることができた。

そして、比較的に回復しやすい層と少し中長期的になってしまう層が心にあるとしたら、こみちは奥側の中期的な層まで傷つけてしまったと思う。

と言うのも、妻に指摘された時の状況は一度改善されたと思う。

しかしながら、改善されたことによって元には戻らなかった。

つまり、中期的な層の傷は残ったままだと言うことだ。

感覚として、「忘れられる」か否かがポイントで、過去のトラウマを記憶として残った状況の場合、一回目よりも簡単に当時の状況に戻ってしまう。

そしてこみち自身は、二度目に入っていて、一回目の時よりも決定的な出来事などなかったはずなのに、結果としては元に戻ってしまったし、もっと言えば慢性化してしまっている。

グラグラと感情が揺さぶられ、異質な感覚が現れる。

そして、その現れた感情に支配され、いつもなら絶対にセーブできたことを解放させた時に、言いようのない達成感を感じられた。

とは言え、ことはそんなに大袈裟ではなく、割ってはいけない食器を床に叩きつけてみたいと思って、それをやってしまうか否かというような話だ。

ポイントはメンタルの制御を自身が一度でも放棄してしまうことにある。

その衝動は、過去にはなかったからだ。

妻からの提案で両親に表面的な事情が告げられた

夫婦で悩んだ結果、妻の提案でこみちのメンタルが下がっていることを両親に伝えてくれた。

その原因の一部に両親との同居があって、それこそ寝静まったこんな早朝は、リビングにいても異常な動悸など起こらない。

一日中、テレビを見ている父親や独り言のようなぼやきが増えた母親の側にいると、その影響を強く感じてメンタルを下げてしまう。

鈍感な母親は「メンタルが下がる」ということを根本的理解できないらしく、「機嫌が悪い」と思っているみたいで、妻から伝えた後、「優しい口調で」頻繁に絡んでくるようになった。

つまり、優しくすれば機嫌が治ると思っているようだ。

「今日ね、こんな嫌なことはあったんだよ…」

起こった事柄ではなく、そうやってぐいぐいと迫ってくる態度に疲れてしまう。

一方の父親は、嫌われていると思っているようだ。

でも、「なぜ嫌われているのか?」を考えることはしない。

今朝もちゃんとポットに沸かした湯が入っていて、「やかんで沸かした」と分かるようにコンロに置かれたままになっている。

いつもは起きっぱなしにはしないのに、「自分は役目を果たしている」とこんな形で残しておくのだ。

まさか?と思われるかもしれないが、「オレがわざわざ」という印を残して、相手に察するようにするのは父親の癖だからだ。

例えば、こみちがトイレを先に使っていた時、父親はトイレの近くにいて「入るから」とひと言告げる。

そのひと言で変わるのは、ドアを閉めるか開けっぱなしにするかだけだろう。

でもそうやって言う理由は、「オレは待っていた」ことを相手に感じさせるためだ。

詳しい金額はもう忘れてしまったけれど、叔母の入院費をこみちたちで支払うことになって、誰がどれだけ負担するのかと家族で相談した時に、「お父さんはいくら出せるの?」と質問して、返って来たのは「お金は無い」という答えだった。

「でも0円ではないでしょう? いくらあるの?」

そして本来ならこみちなどよりも父親が支払うべき役回りだと家族の誰もが思っていた。

なぜなら、父親の実の妹のことだから。

しかし父親が取った行動は、持ち金を少なく申告するどころか、自身の財布を広げて見せることもしないで、「無い」と言い張り続けた。

そうやって上手く乗り切ったと思った父親と、呆れて信頼関係を壊した家族との溝ができた違いはもはや修復できないほどだ。

事実、父親の優しさを感じても、「根底」を変えないから信頼性の回復には繋がらない。

「湯を沸かした父親」に対し、家族想いではなく、パフォーマンスだろうという認識しかない。

例えば父親が頭が痛くて起きるのが辛い時、100%湯を沸かしたりしない。

でも家族は風邪気味でも頭が痛くても、ご飯を作ったり、仕事に行ったりしている。

その違いは簡単で、自分のためか誰かのためかだろう。

つまり、こみちがさらにメンタルを壊したとしても、父親は手を差し伸べて助けることはしない。

特に自身の苦労や不利益が見込まれる時は、なおさらだろう。

恐ろしいくらい「自己愛」が強い人間だ。

母親はど天然で、自分の尺度でしか対処できないから、昨夜の豚肉のステーキも、ゴム草履並みに硬く焼いていた。

理由は簡単で、「父親がよく焼いた方が好き」ということ。

でも、父親の分とこみちたちの分で焼き分けることは難しくない。

それでも直せないのは、「コレはこうするべき」と一度擦り込まれるとそこから抜け出せないのだ。

自信たっぷりな態度で話す父親の言葉をどこかで信じていて、それに従って生きている母親なので、自己愛に生きている父親を最後までなんだかんだで愛するように思う。

そして、さらにその損失は、疑いなくこみちに回してくる算段だろう。

なぜなら「家族は助け合うもの」だから。

どこまで虫がいい話なのか、何も工夫しないで生きて、その結果を周りにすべて押し付けるような生き方をされれば、当然、こみちのメンタルはバクを起こしてしまうだろう。

さらに父親の場合、既得権益を得た以上、それがどんな背景から得たものでも自分から手放したりはしない。

仕事から帰って来たばかりの母親に、それまでテレビの前で居眠りしながら待っていた父親が、「遅い」と言える神経を疑う。

まぁ、それに対して「貴方が働かないから働いているでしょう!」と言うこともしないで、「急いでするね」と間違えたいい女ぶる母親は、擦り込まれた価値観から抜け出せていない。

「それおかしいよ」とどんなに指摘しても、「そうなの」と口で入っても、ここ何十年も直さないことを信念として生きている。

こみちにすれば、母親が父親の分まで全てやり切ってくれるなら問題視もしない。

そうではなく、父親に関わった手間だけ、別の形でこみちに回してくるから指摘するのだ。

「私たちは家族でしょう!?」

逆に「家族」って何と聞きたい。父親は実の妹の面倒を放棄できてしまうほど、自己愛の強い人間なのだ。

家族家族と言っていても、父親がこみちたちを助けてくれることはあり得ない。

でも母親はそんな父親に尽くすことを美徳として生きていて、体力の続く限り、スタイルを貫き、押しつけてくる。

そりゃ、まともな人ほど、メンタルをやられるって。

こみち自身も、同居を解消したら、今以上に回復できると思うほど、両親の存在に苦しんでいる。