また両親との同居が嫌になりました!

 夕飯作りで

働いている妻や母親が帰宅する時刻になって、こみちはキッチンに降りて来ました。

リビングには寝転んでテレビを観ている父親がいます。

作れないから作ろうとしない。

作ってもらうことが当たり前になっていて、それこそ母親が作ったのならまだしも、こみちやこみちの妻が作った時でも「ごちそうさま」とか「ありがとう」と言ったことがありません。

そんな姿を見ていると、やっぱり優しくしてあげる気持ちにはなれず、でも正確に言えば、これまで何度も手助けをして来ましたが、それに対する感謝を口にしたことが無いのです。

「どうなの?」

そうやって聞いたこともあります。

でも、「嬉しいよ」と、よく耳にするようなセリフで大人の対応もできません。

「ああ、うん…」

例えば、父親がいわゆる大人の発達障害を持っていて、感情表現やTPOを理解するのが苦手なら仕方ないと思います。

でも、ちょっと置いてあると勝手に使っていたり、用意して使おうとしたら持ち出していたりで、どう見てもおっとりしているとか、状況が分からないという感じではありません。

いつも「目ざとい人」「ズルい人」と感じます。

話合っても、自身の考えを伝えることができず、こちらから気持ちを伝えても何も変わらないことを幾度も経験し、でも妙なところにこだわって、勝手に自分だけの価値観に満足しています。

確かに本人にすれば満足かも知れませんが、家族や周囲の人にとっては迷惑な行為です。

こみちが器の大きな人で、そんな父親の行為も寛大に受け止められるなら良かったのですが、何を頑張っても全部当たり前で、後から状況を見ていじけたり、ダンマリしたりを繰り返すことに愛想がつきました。

時間が経過すれば収まるという時期もありましたが、今はその間がどんどん短くて、数日に一回という頻度で、むしろ何らかの不満を毎日我慢している感じです。

料理が作れないなら、たまには自分でみんなの弁当でも買って来ればいいのに、そんな面倒なことだと思うのか、「じゃあ、お金出すから買って来て」と言い出す始末。

「お金はあるよ。買って来るのが大変なんでしょ!」と言って、話は終わってしまうというのがパターンです。

一切、自分にとって都合悪いことには手を出さず、でもみんなの苦労は当たり前のように得ている態度に、流石に「いいよいいよ」とはならないでしょう。

実は昨晩も両親と口げんかしました。

と言っても、こみちだけが怒って、両親は黙って収まるのを待っていた感じです。

そして、何も変わらない。

ある意味でその信念の強さってどこから来ているのでしょうか。

若干、両親は状況を理解できないのかも知れません。

というのも、ダイニングテーブルに数日前からキンカンがザルに入れられて放置されています。

母親に「邪魔じゃない?」と聞けば、「ときどき食べている」と答えるでしょう。

こみちにすれば、食べるのは良いと思います。

でも、テーブルに置きっぱなしにしなくてもと思うのです。

そして「邪魔だから」と強く言えば、テーブルから別の場所に移動されて、例えば蓋付きのゴミ箱の上とかに置かれます。

「何でそうなる?」と思うのですが、いつもそんな感じの繰り返しで、次第に何も言えなくなり、そしてこみちはメンタルを壊しました。