「心の回復」と「変わらない現実」との狭間で

 昨日の話

昨日は、目が覚めても気分が下がったままでした。

「どうしよう…」と悩んでいる状態です。

しかし、「どうにもならないなら」と思って、やれることだけをしようと決めてから、結果的に心が楽になって来ました。

昼前には、約2キロくらいジョギングもして、運動をすることで気分転換も図りました。

夕方になって、母親の家事を軽減するために、晩御飯を作ることになったのですが、いいタイミングで帰宅した妻も「折角だから食べようよ」と時に8時を過ぎることもあるのですが、6時ごろに食べました。

なぜか、父親もテレビの前から離れて、いつもの調子がいい時のようになって、個人的にはそんな態度が好きではないのですが、深く考えないようにと思って軽くあしらいました。

しかし、既に帰宅していた母親は、何をしているのかリビングに現れません。

久しぶりの四人揃ってという流れは叶わず、結局はバラバラの食事となりました。

食事を終えて一度、自室に戻り、妻と二人の時間を過ごして、1時間以上経過して再びキッチンに戻ったのですが、両親は自分たちの食器こそ洗っていましたが、米を研ぐまではできていませんでした。

仕事で疲れている母親は、もうテキパキと家事が出来ず、父親はそんな母親を見ても、食器を洗わせて平気でテレビを観ているというのもいつもと変わりません。

今朝の話

今日も一人の時間を求めて、3時に起きました。

目が覚めたのは2時半ですが、流石に早過ぎるので、二度寝しましたが、10分くらいでまた目が覚めてしまったので、既に緊張しているようです。

起きて来ると、ダイニングテーブルにはザルに入ったキンカンが放置されています。

同居し始めて、ダイニングテーブルの上にポット、インスタントコーヒーの瓶、海苔、お菓子などなどがいつも置くようになり、三分の一が使えません。

そこに加えて、詰め替え用のコーヒーの袋、さらにキンカンと置いているのです。

それを見て、やはりため息が出てしまいます。

詰め替え用のコーヒーを瓶に入れるのは、3分で済む話。

そんなひと手間が今の両親には1日仕事になってしまいます。

結局のところ

もう両親が今の生活を変えることはできないでしょう。

家族の世話になっても、在宅介護を望み、施設に入ることを決断しない可能性もあります。

叔母の施設入所が問題になった時、妹である叔母のことを考えず、「面倒だ」という利己だけで行動もしなかった父親。

母親も消極的で、休みの日になると役所や地域包括支援センターを回って、叔母の手続きや資金繰りに苦労したことを思い出します。

妻には、約2ヶ月くらい休日を潰してもらいました。

ようやく解決した時に、「叔母さんを施設に入れたことを踏まえて、今後は生きて行こう!」と話した時に、母親は「そうだね」といい、父親は黙っていました。

一年が経過して、もう父親は実の妹に何もしてあげられなかったことを何とも思っていないでしょう。

何より、父親は先祖を大事にしているという母親の言葉に、こみちは耳を疑ったほどです。

「大事に? 妹に何もしないで?」

叔母の入院費や住まいの退去費など、父親に〇〇円掛かると伝えても、持ち金がないと言い張り、一円も出してくれません。

結局は残りの家族で分担し、それこそ妻にとっては「何で?」と思わせてしまったでしょう。

誰でもそうですが、優しくされたら機嫌がいいものです。

誰かがご飯を作ってくれて、食器を洗うこともしてくれて、時に思い立って湯を沸かすといい、周りはその準備に動かされる。

そこまでされても、対等か、少し自分を上に思っていられる父親なので、もう今更変わることはないでしょう。

これで精神的に落ち込まない人の方が不思議だと思います。

コツコツと節約しても、努力しても、それを一瞬で浪費されている感覚で、虚しくなってしまうからです。

「オレは料理できないから、弁当を買って来たぞ!」と言える父親なら違うのですが。

しかしそんなことをしても、結局はその弁当代も共同の生活費で賄われ、でも母親は「お父さんが買って来てくれたのよ!」となぜかみんなから「お父さんありがとう」という流れになってしまいます。

父親もそうなら、母親もそうで、その息子であるこみちも同じなのでしょう。

妻には本当に申し訳ないとしか言えません。