「なぜダメなんだろう?」と誰もが思っていたって話を浅く掘り下げる

 あるプロ野球選手の動画きっかけで

YouTube を見ていると、おすすめで目に留まった一本の動画。

それは、とてもしっかりとした球筋で投げるプロ野球選手の映像でした。

こみちは野球の基本ルールは分かりますが、細かなことは何もわかりません。

でも、彼のピッチングは明らかに素人とは思えないレベルで、流石にプロのスポーツ選手だと感じます。

ストレートにカーブ、チェンジアップと、その豪快なボールをカメラの前で披露してくれました。

「夢はメジャーリーガーなんです」

そう教えてくれる彼の夢聞いて、「なるほど」と思ってしまいます。

しかし、そんな彼ももう27歳とかで、夢を叶えるには良いタイミングでしょう。

ポイントはそんな投球を持ってしても、アメリカではメジャーリーガーの夢が叶っていないということ。

あれだけの投球なのに、まだ何が足りないのか…。

元読売ジャイアン投手「桑田真澄」さん

桑田真澄さんといえば、ストレートとカーブをメインに、コントロールとタイミング、打者との駆け引きで勝負する名投手。

PL時代の彼がまだ高校一年生の夏に甲子園のマウンドに立った時から、天才投手と思い続けていました。

ところが、プロ一年目を終えた彼が、「プロ野球では無理かもしれない」と感じていて、二年目を迎えた春キャンプでの体験が無ければ、今の自分は居なかったと語っています。

一年目からどうすればプロで通用するのかと悩んでいて、そのまま二年目を過ごすのではなく、しっかりと春キャンプの期間で修正できたことにも驚かされますが、あれだけ才能ある人なのに、「このままではいけない」と気づき、その対策を始めている辺りにも関心させられます。

同じ失敗を続けない。

ピッチングでもそうやって、一回は打たれれも、二度、三度とは続かせないことで、失点しないのでしょう。

思うに、このポイントって、もうピッチャーとしての才能ではなくて、だから速い球やよく曲がる変化球が投げられるかどうかではなく、「現状を知り何をしたのか?」という部分なのでしょう。

つまり、桑田真澄さんの素晴らしさって、もちろん選手としてもそうですが、それ以前に「努力するきっかけ」が誰よりも早いのかもしれません。

そう「このままではダメになる」と気づくタイミングが。

タレント武井壮さんの「努力できるという才能」は神さまからの贈り物!?

タレントとして活躍されている武井壮さんですが、飛び抜けた運動神経と彼独自のスポーツ力学は、ちょっと驚かされる天才っぷりです。

簡単に言えば、何かスポーツで上手くなりたい時に、「投げる」や「走る」ということを練習する前に、「投げるとは?」や「走るとは?」というポイントで一度、考えること。

それを経ることで、同じ投げるという動作も、より精密にコントロールできます。

これは勉強法でも言われることで、あるテストが70点だとして、単純に「70点だった」で終わるとそこまでです。

しかし、間違えた30点の部分がどんな内容で、自分は何を知らなくて答えられなかったのかを一度でも掘り下げられたら、次回のテストでは結果が変わるでしょう。

その手間を省いて、次回のテストに向けて勉強しても、できる部分もできない部分も意識しないで、満遍なく確認してしまうので、できないことができるようになる確率はそう高くありません。

つまり、勉強した効果がそれほど高くありません。

「努力しているのに…」と思ってしまう根本的な原因です。

さらに、武井壮さんは、できる人と同じだけ「努力して」欲しいとも言っていました。

そこから「才能がある」かどうかを判断して欲しいと。

すると世間では、「努力する才能」という話になって、神さまからの贈り物と表現することもあります。

しかし、武井壮さんはそんな才能で頑張ったのではなく、「努力するしか現状を変えることができなかったから」と教えてくれます。

つまり、今を変えるために待っていても何も変わらないばかりか、人生は詰んでしまいます。

だからこそ、そこから「どう努力するのか?」と気づき、動き始めたということでしょう。

まとめ

メジャーリーガーを目指す投手。桑田真澄さんや武井壮さんのことを知り、少なくとも「何で自分はダメなんだろう?」と言えなくなりました。

彼らのように努力していませんし、自身でもまだできると思う部分があって、ある意味でそこを克服してもなおダメなら、その時に「自分は才能もなくダメな人間だなぁ」と思うべきだと感じます。

何もやるべきことをしない段階で、「頑張ったら」とか「才能あるか」を最初から気にしても未来はどうなるのか分かりません。

笑顔で人々魅了している人たちも、どこかの期間で懸命に努力し、目標まで頑張っての今があるのでしょう。

「そりゃそうか」ってことですね。

まだまだ結論を語るほど、やり切れていません。こみちの場合。