思うようにはなりません
昨日、久しぶりの夕飯を母親が担当してくれたのですが、「鍋」でした。
毎回、同じ味の鍋で、ワイワイと楽しく食べるにはいいとしても、今の家族で食べるとあまり美味しくは感じません。
どうすれば、鍋をもっと美味しくできるのかと思いますが、元々そんなに好きな調理法ではなくて、次回はもっと美味しくしようという意気込みにもなりません。
「シメにはうどんがいいね!」
余っていた即席麺をシメにしたのですが、これも毎回の定番で、こみちも率先して口にはしませんでした。
最近、上手くいってないなと強く感じます。
でも、どうなれば良いのかも良くわかりません。
今日も朝の2時半くらいに目が覚めて、布団の中で1時間くらいグズグズとしてから3時半にリビングに降りて、ダイニングテーブルのいつもの席に座ってこの文章を書いています。
4時半になったら朝食と弁当作りを始めて、7時半には家を出る予定です。
全てが淡々としていて、予定通り行けばまた夜を迎えます。
きっと明日も、同じくらいの時間にはここにいて、家族の朝食を作るのでしょう。
老いた両親
やっぱり、老いたなぁと感じます。
特に問題を処理することができなくて、根本的に手付かずになっていることが多く、もう助けなくしては生きられないんだと感じます。
何もしない父親ですが、彼にとっては「お湯を沸かす」ことが1日のスケジュールで、しかも毎日となると大変に思ってしまいます。
じゃ、ティファールを買って、焼かんで沸かすのを止めようと言ったことがあるのですが、決まって電気代が掛かるからと反論されます。
でも、ガス代とどれ位違うのか調べることもなく、また実際に父親が毎日沸かすことができないのに、別の方法へ変更することができません。
数千円で購入し、それで問題解決。
そう進めたくても、いつも同じような問題をガヤガヤ話して、結局は解決しないというパターンばかりです。
きっと、両親は多くの課題を放置したままでしょう。
「あとは頼んだね!」
何か力強いメッセージにも聞こえますが、要は尻ぬぐいしてねということです。
それだって、時間も手間もお金も掛かることを全部残してしまうのですから、今の介護状態を含めて、「親孝行」になっていると思うしかありません。
一緒にいる妻にすれば、同居でいろいろと気を使うでしょうし、自由を奪っているとも感じます。
それこそ、こみちと生きるのが辛ければ、離婚されても仕方ないでしょう。
みなさんもいろいろあるとは思いますが、年末年始を迎えるので無難に乗り越えましょう。
ではまた。