「終わった」と考えないようにしている

 最近になって

最近になって、ネガティブというか、マイナスなことから目を逸らしている。

「終わった」と結論づけないために。

同居して以来、両親の生活リズムにイライラさせられるし、それが思った以上に精神的なストレスになっている一因だ。

イメージとしては、3テンポくらいズレていて、例えばトイレに入ろうと思った時に、誰かが使っているようなシーンだろう。

居合わせるということは、問題ではない。

でも、何か別のことをして、さらに別のことをしても、一向に出てくる気配がない。

痺れを切らしてトイレに行けば、ドアは開いているのに中で何かしている。

「使いたいんだけど」

「じゃあ、先にいいよ」と返事が。

そこで「先に」というワードが引っかかる。

「まだ使ってなかったの?」

もう最近はそんな詮索もしない。

すると、本当にまだ用を足していなかったりする。

冒頭から10分以上経過しているのに。

譲ってもらい先に用を済ませたのはいいけれど、「トイレに入る」という何でもないことが、ちょっとした生活上の貸し借りになってしまう。

掃除機を使うタイミング。

洗濯機を使うタイミング。

風呂に入ることやキッチンを使う時も、かなりの確率で被る。

コンロで何かを焼いていると、シンクを占領されて、何か時間の掛かる作業を始める。

横目で見ると、近所からもらった泥付き野菜を今のこのタイミングで洗い始めるのだ。

ちょっと水を使いたいと思っても、とても使えないほどごった返していて、もうそれだけで負担になってしまう。

でも両親は、こみちが毎日そんな思いをしているとは思っていないだろう。

母親に至っては、「ピーナッツを食べた」ということがあると、それこそ切らすことなくピーナッツを常備してくれる。

それはピーナッツだけではなく、菓子パンや焼きのり、キムチなどなど、本当に多い。

何かの拍子に食べたことで、食べることが義務になり、追われている感覚になる。

「〇〇しないと」

精神的に弱い時は、その強迫観念がかなりのストレスなのだ。

些細なことでも重なれば負担が続く。

過呼吸にならないように注意しなければ、危険に感じるレベルだからだ。

「今の生活に不安は感じないの?」

きっとそう聞かれれば、「不安だよ」と返事するだろう。

でも、どう不安で、どうすれば改善されるのかを考える予定もないだろう。

つまり、状況はどうであれ、今の生活のままということ。

考え過ぎてはいけないし、だからと言っても具体的な行動に移せなくなってしまった。

ある意味で、両親の気持ちと同じ所にいて、不安だろうが、なすがままを生きるしかできない。

具体的には触れられないけれど、一日中考えてしまう悩みが幾つもある。

クリスマスや正月に何か期待もしていないけれど、形ばかりの予定が組まれ、そこに何か楽しみが乗っかっていなくて、気持ちは付いて行けずにいる。

「クリスマスケーキの予約したから」

いつも利用するスーパーの用意したクリスマスが先行予約で20%引きらしい。

安かったから注文したという。

本当に美味しいケーキ食べるなら絶対にあの洋菓子店で注文したいし、低予算で済ませるならコンビニスイーツでも有難い。

20%オフとは言え、価格はまあまあそれなりで、でも味は特別美味しいとも思えない。

値上がりしているコストコのイチゴケースの方が安いし、満足感も高い。

とは言え、コストコに行くのはこみちだし、大人4人のクリスマスにはしゃぐ気持ちにもなれない。

子どもが帰って来るというなら別だが、それでもクリスマスケーキ選びに興味などないだろう。

何が面白くて生きているのかさえ、もうよく分からない。

これからどんどん老いて行くことが怖い。

これからどうなってしまうのだろうか。