「ぼっち」という若者文化を中高年のこみちが深掘りしてみた!

 「ぼっち」って何だ?

「ぼっち」とは、「ひとりぼっち」の略で、つまり周りから「孤立」している状況を指す。

「孤立」というと、周囲に馴染めていない印象も含まれるが、必ずしもそうとは限らなくて、居なかったらいないで「好き勝手にできる状況」を作り出しているとも言える。

正に、一人カラオケとか、焼き肉は顕著で、自分のペースで自分が満足するためだけに進められるから心地よい。

こみちも「ぼっち」です!

ところで、みなさんは「ぼっち」をどう思うだろうか。

こみちには妻がいる。

でもお互いに「ぼっち」が好きだし、一緒にいてもヘッドホンをつけてそれぞれが思いおもいの時間を過ごすことも多い。

「飲み物ある?」

席を立つ時、言葉ではなくジェスチャーで訊ねて、飲み物を入れてあげたりもらったりする。

でも、そこから会話が始まることもなく、また「ぼっち」を続けるのが心地よい。

それは二人で出掛けた時も同じで、「ちょっと腕時計を見ていく」と告げてそこから「ぼっち」になることも多い。

妻も「あっちに行く」と告げていなくなる。

時にこみちは通路にある休憩用のソファーに腰掛け、普段から持ち歩いている小型のスケッチブックにそこから見える景色を気ままに描き出す。

描き始めると、15分くらいは時間が経つ。

あまり精密な絵ではないから、それくらいがちょうどいい。

気づくと妻がいつの間にか来ていて、「どう?」と聞くから「行こうか?」でスケッチブックを閉じる。

昔は描いた絵を見せて、「嗚呼」とひと言感想をもらっていたけれど、もうそれさえ省力された。

一生、ひとりぼっちというのも詰まらないけれど、空気のような存在になる妻でさえずっと一緒にはいるのは疲れてしまう。

それこそ「気配」を感じられるくらいの距離感が心地よくて、それ以上近づくのも遠ざかるのもストレスだ。

いつから「ぼっち」だったのか?

それを自覚したのは、中学生になってすぐだ。

学校でも「ぼっち」だった。

もっと正確に言うと、いじってくれる友だちはいた。

授業が終わって、急いで友だちのところに行くことはしない。

席に座ったまま外を眺めていたりする。

すると誰かが来て「何見ているの?」と聞くから「何も…」と答えると、「そっか」と言ってどこかに行ってしまう。

「こみちって、どこかに行ってしまいそうだね」と、当時交際していた女の子に言われたことがあった。

「そう?」

こみちもそう答えることしかできない。

実際、その女の子とも疎遠になってしまった。

思えば、妻が他の女性たちと違っていたのは、そんな「ぼっち」なこみちのことをずっと放置してくれたからだと思う。

学生時代、当時バイクでツーリングをよくしていて、しばらく連絡しないことも珍しくなかった。

「金沢は良いところだったよ」

「ヘェ〜、行ってみたいなぁ」

久しぶりに会った時に、数日間の出来事を話すと、ウンウンと聞いてくれた。

「腹減ったね」

「そうだね」

でもそこから、互いに好きなことを始める。

店に入りテーブル席で向かい合ったのに、もうツーリングの話はしなかった。

当時を振り返れば、妻よりもタイプの女の子もいた筈だ。

でも、妻を選んだ理由は、「ぼっち」を理解してくれたこと。

正確には「「ぼっち」でもいい?」と聞いたことはない。

でも「ぼっち」を当たり前に続けられた。

何かと甘えて来る女の子も可愛いと思うけど、絶対に「ぼっち」になりたい時間があって、その時はどんなに好きな女の子でも受け付けない。

だから、「私にことが嫌いなの? 邪魔?」と質問されると悲しく思う。

何よりそんな二人ではいつか上手くいかないように思ってしまう。

今の妻が仕事帰りにどこかに立ち寄るとしても、それがわかっていたらこみちは一向に心配はしない。

むしろ、妻にも「ぼっち」が必要で、その時に職場の人や趣味の友人とご飯を食べるとしても、「それはそうだろう」としか思わない。

夫婦だから、常に相手を一番に思って、何もかもを犠牲にするのは健全だとは思わないから。

でもそれくらいに思うからこそ、「何か飲む?」と声掛けることが自然にできる。

今も同じ部屋に居るけれど、妻はこみちに背中を向けて、タブレットの画面を見てクスクスと笑っている。

ノイキャン付きのヘッドホンをつけて、きっと声を掛けても小声だと聞こえていないかもしれない。

でも、それくらいがちょうどいい。

これでも昔はもっと互いに「犬」っぽいところがあった。

でも今は「猫」っぽくなって、戯れたい時にすり寄って、気が済んだらまた「ぼっち」に戻る。

ただ暗黙のルールとして、遠ざかり離すぎないようには注意している。

なぜって、互いに「ぼっち」でいられると思うから。

最近、会話していている途中でも、妻がおもむろにヘッドホンを付け出すことが増えた。

会話がつまらない時や、「ぼっち」になりたい時にする行動だ。

以前はそれでも気を使ってくれて、話を最後まで聞いてくれたけれど、こみちの方から「もっと自分勝手でいいから」と伝えた。

なぜなら、無理して合わせる時間がもったいないと思うから。

妻がヘッドホンを付けて「ぼっち」を始めたら、こみちだって「ぼっち」になればいい。

好きな音楽を聴きながら、こうして文章を書いていることが楽しいから。

「退屈だなぁ」と思って時間を過ごしても、明日になればまたそれぞれに忙しい。

だったら、もっと好き勝手に「ぼっち」を楽しむべきだと思っている。