父親の生活必需品
今朝、テレビが急に映らなくなりました。
毎日、父親がリビングで使っていたあのテレビです。
古いといえばもうそれなりに経つので、寿命だったのかもしれません。
一度、映らなくなっただけなので、接触不良やチューナー、アンテナ線の着脱などを確認してみないと、完全に壊れたのかまだ分かっていないのですが。
テレビを誰が買うのか?
皆さんなら、テレビを自分が買いますか?
それともいつも使っている父親に出してもらいますか?
母親はとても勘がよくて、そんな時にこみちには相談して来ません。
決まって妻に相談し、「壊れたなら買えば?」という言葉を引き出します。
つまり、全額両親が負担するという選択(働いていない父親はへそくりを自慢するものの、こんな時に出すタイプではありません)を外しにかかります。
何が面白くないかって、リビングにあるテレビなどこみちはつけないし、しかも性能や流行で選ぶこともできず、値段優先で次回候補が決まってしまうのです。
ゲームなどしませんが、画面の描写速度が高いモデルとか、映画鑑賞で音響機器に優れたモデルとか、折角ならあれこれと吟味して選ぶのが楽しいはずですが、半分、全額、金額の割合はまだ決定しませんが、「映ればいい」という基準で決まってしまうことにも落胆します。
両親との生活で
最近の母親が作る夕飯は、大半が惣菜などを皿に盛り直したものです。
極端な話、こみちだけなら肉と野菜を用意してくれたら、その日の気分で簡単なものを作ります。
妻用にスパゲティだって作りたいですが、母親が嫌いなので夕飯の食卓には並びません。
しかも「食べたら同じ」という母親なので、無理に作ってもらったとしても麺が茹で上がり過ぎていて、まぁ美味しくないのです。
ハンバーグも玉ねぎから炒めて作りたいこみちですが、いつも既製品を温めて食べるので、肉の旨味を感じられません。
つまり、テレビなど電化製品を選ぶ時も同じで、「テレビならどれも同じ」という人なので、何がどう違うのかとこだわりがないのです。
360度カメラが欲しいなぁとか、新しいiPad が新機能で登場するとか、折り畳み自転車も良さそうだと思っても、欲しくないテレビを買うために10万円とか出費されるのはやっぱり嬉しくはありません。
いつも、「オレは金を持っている!」と得意げにお金を見せたがる父親ですが、こんな時こそ自分で買って欲しいくらいです。
でも、そこで10万円を出したとしても、結局は何か入院することにでもなれば、いつかは徴収されるので早いか遅いかだけなのですが。
使うのを我慢して暮らすこみちたちと、割と気楽に生きている父親とを比べると、やはり羨ましい限りです。
普段から働きせずに、テレビが壊れたら当然のこととして次の新しい商品を買いに行けるのですから。
実は父親、「買えること」が目標ではなく、「買って来てくれたらそれでいい」というスタンスです。
自分で買いに行くのも面倒なので、待っていたら誰かが時間を割いて買って来てくれて、しかも設置もしてくれて、またテレビの前で寝込んでいるつもりです。
それをしてもらうために、貯めた10万円を出すのかと思うと、やっぱり面白くありませんよね。
その父親のスタイルを通させたいなら、母親も最後まで仕切ればいいのに。
不満顔のこみちを察して、先に妻を巻き込んで計画しているようです。
こんなことなら、先に欲しいものを買っておけばよかった。
「月1万円でも内職して、テレビ代を稼いだら?」
そんな提案にもずっと応じなかった父親ですが、働かなくても誰かが買ってくれると思っていて、今だけ急に手伝いをしてアピールします。
若かった頃、お金が無くて、テレビが壊れた時に半年くらい無いまま生活したことがありました。
そんな我慢とか、苦労をしていない父親なので、母親もよく懲りないなぁと思いますし、今回の一件も誰かが情けを掛けるのでしょう。
情けを掛けられることにプライドも傷つかなくなった父親は、急に老いた人になり、ことが過ぎるのを黙って待ち続けます。
その姿を見るのが嫌いで、できないならできない人として生きればいいのに、助けてもらうと後はそれさえ無かった顔で生きていける気持ちが理解できません。
まだ、「内職して返す」とでも言ってくれたら可愛いですが、毎日使っておいて「そもそも、これはオレのテレビではないぞ!」と言い出しそうです。
朝起きてから寝るまで、ずっと独り占めして来たことなど忘れてしまうのだから凄いものです。
これで年末に何か自分の欲しいものを買うという選択肢はなくなりました。
何を我慢して生きているのかさえ、もう分からないほどです。
テレビが直ったとしても、その時に購入代金くらい稼ごうという発想にならないので、映ったら映ったで、また今日もリビングで居眠りするのでしょう。