「人生が詰んでいる」と妻に言われて

 「心の病気」を理由にしたくはないけれど

一年前、まだ「心の病気」になっていなかった頃を振り返って、こんなに頭がぼんやりしていたかなぁ」と感じる。

何か難しいことや複雑なことを考えたくても、モヤモヤした感覚が先に来て、以前よりも考えることができなくなっている。

だから「仕方ないか!?」とか、「まあ、いいか」と、あれこれ考えずに結論を決めてしまうことが増えた。

昨日も仕事場で、新人のスタッフが仕事を任されているのを見て、「頼りにされているなぁ」と思った。

「もっと仕事振ってくれたらいいのに!」と思う反面、実際にアピールしているのかというと、やはりそうではない態度も多かった。

一昔前なら、きっと上司に相談があると、想いを伝えただろう。

でも現場の担当者はみんな若く、20代や30代で、親身に相談できる雰囲気ではない。

以前から会社の移転も予告されていて、来春くらいになるはずだから、そんなことも重なって言い出せないのもある。

長くて半年、短ければ年末くらいで仕事が切れるだろうから、今さら働き方を相談することもできなくなっている。

妻に相談してみたけれど

正直、仲が悪いと言うことはない。

交際期間から含めれば、人生の半分以上を一緒に過ごしているくらいだから、良くも悪くも互いの性格も分かってしまっているだろう。

そして、数年前から意見が合わなくて話合いになった時に、妻は自分の意見を突き通すようになった。

それまでは「うん、分かった」とこみちの考えを尊重してくれたけれど、今でははっきりと「こうします!」と宣言される。

そして、今の職場のことを思い切って話したら、「辞めれば?」と即答された。

あまりに早い回答に少し戸惑ったくらいで、こみちは職場でのことを勝手に話し出した。

5分くらいすると、妻がイライラし始めて思わず、「ごめん、忙しいでしょう?」というと、「もう(人生)詰んでいるだって」と言葉が漏れた。

こみちがフリーランスだった頃、仕事が重なったり、仕事が途切れたりすると気持ちが焦った。

夜中に目を覚まして仕事をすることも多かったし、いつも結果が怖かった。

それは担当者の指示を理解したつもりでも、結果的に「間違えている」と言われてしまうことがあったからだ。

確かに不注意だった部分もあっただろう。

でも、全てがこみちの勘違いではなく、前回と今回で言っている内容がまるで違うこともあった。

とは言え、「言っていること、変わってますよね!?」とは突っ込めない。

なぜなら、そんなことを言ったら、すくにでも仕事を切られるからだ。

どんなに正しくても、仕事ではクライアントが納得しないといけない。

そんなジレンマを再三経験して、「正しい」ってよく分からなくなっていた。

だからこそ、妻がフリーランスの準備を始めた時に、余計な心配事を減らそうと、家事にも積極的に参加したつもりだが、今となっては「それしかできない男」という評価になっている。

関わったことで、補われた部分があっても、それは当たり前になり、逆にできていない部分に目が移る。

妻にすれば、「なぜもっと働かないのか?」と思っているだろう。

「人生が詰んでいる」という意図は、こみちも父親と似た立場で、何もできない男という評価になっていた。

朝、みんなの負担を軽減したくて、朝食や弁当を作り、トイレ掃除やゴミ出し、部屋の掃除をしても、「助かっている」ではなく「それしかできない」と評価されていた。

それこそ、妻の仕事が軌道に乗ったら、夫婦で乗り越えたではなく、「もういつだって離婚してもいいけど」と言い出されてもおかしくない。

こみちが負担を掛けないようにと、一人で悩んだりした経験を妻には少しでも回避させたかったつもりだけど、それって目には見えないから、もしかすると「私、頑張った」で終わるかもしれない。

昨夜、妻に「お湯を沸かして」と言われて、やかんを火にかけた。

それは父親が湯を沸かさなくなってしまったからだ。

すると父親が「お湯なら沸かすぞ!」と会話に入ってきて、妻はそのまま立ち去った。

「洗い物しながら沸かせるからいいよ!」と説明すると、父親はまだ少し納得していない様子で、でもテレビを見始めた。

翌朝、晩ごはんで洗った食器が食器棚に戻されていない。

お湯の件で大丈夫と言ったら、食器を戻すこともしないで父親は寝てしまったのだろう。

朝ご飯wを作り前に、食器を片付けるところから始めるのだが、決められた分担を責任もってできないのが父親だ。

お湯の一件で、他のことも全部放置する。

かと言って、黙っていればお湯を沸かしてくれるとも限らない。

結局は、決まった作業を必ずしてくれることはない。

父親を悪く言いたいのではなくて、そこに手間を掛けると介護になってしまう。

でも、放って置いて何か気を利かせられる人でもないから、「アレどうした?」と思った時には「知らないぞ!」で何もできていない。

もう、こみちの人生は詰んでいるのかもしれない。

両親が介護施設に入るだけの資金は無いから、どちらかは家で見ることになるだろう。

父親が自分の介護負担を自覚して施設に行くと言うはずもなく、母親が入れば、父親の世話を誰がするのか。

これから3年、5年後は怖い。

仕事も家事も、介護もと思うと、また心を壊してしまう不安が付き纏う。