「人生」を資本主義社会の中で考えると

 現役時代を何歳までに設定するのか?

経験則から判断すると、男性の場合で75歳、女性なら80歳くらいを現役と考えればいいだろう。

ではスタートをどこに置くかだが、大学卒業の22歳とするか、高校卒業の18歳や大学院まで進むことも考えられる。

歌手や役者、アーティストのように実力だけでなく人気も伴って初めて活躍できる職種は、10代から40代、さらにそれ以降と予測できない。

とは言え、現役時代を準備期間と飛躍期、維持期と分類した時に、チャンスを効果的に活かせる飛躍期を迎えるためにも準備期の過ごし方が大きな意味を持つ。

例えばこの準備期に税理士資格を得ることができれば、飛躍期で経験を重ねて、社会を「税」という視点で考えることが可能になる。

資本主義社会では、サラリーマンという生き方もあるが、何か自分で事業を立ち上げる時に、その組織形態を問わず「税」との関わりが出てくる。

彼らはその専門家である税理士を探しているし、その有資格者なら社会でもしっかりと活躍できることだろう。

このように、その資格を取得すればどんな活かし方ができるようになるのか、それが自分に合っているのかを早い段階で見つけられれば、結果的に現役時代の中後半を長く取ることができる。

一方で、こだわりを持って歌手を目指してボイトレをしながら、生活費はアルバイトという選択をしたとしょう。

何年後かにはれて夢が叶い、思っていたような克哉をして、他では得られない人生経験を得るという生き方ができる。

しかし、アルバイトという働き方で注意したいのは、その経験から資格やキャリアへと結び付けられるかということだろう。

例えばパン屋で働く場合でも、店頭でレジ打ちや商品の包装を主に携わって来た人は、たとえその経験が3年、5年とあっても、次の仕事探しでは「接客業」という枠で経験しているに過ぎない。

しかし、「接客業」はとても評価が幅広く、トップセールスマンなら億単位で稼ぐし、時間給で働いている人もいる。

さらに、パン屋で働く場合でも学校でパンの製法を学び、実際に店頭に並ぶパンを焼いていたとなれば、何か条件が揃えば「自営業」へと道を拓くこともできる。

そう簡単な話ではないにしても、接客業として語るよりも製造業として経験を語る方が、キャリアを活かしやすいのは事実だろう。

人生で大切なのは「準備期」を抜け出すこと!?

いずれにしても、「準備期」をいかに短くできるかがポイントで、何か強いこだわりがある場合でも、いきなりそこだけに絞るよりは、同時に活かしやすい準備も両立させた方が人生を失敗しないで済む。

というのも、20代前半の人が求められるアルバイトという求人は、30代、40代と年齢を重ねると逆に応募側が頭を下げる立場になるからだ。

つまり、イメージや印象という意味で、店頭販売は明るく元気な人にお願いしたいと考える。

もちろん落ち着いた雰囲気を求める場合もあるが、それはむしろ専門職に分類されるだろう。

ポイントは中高年になった段階で、まだ準備期を抜けられていないと、それこそこみちのように職場でずっと頭を下げて「ありがとうございます」と言っている人になるしかない。

自虐的に聞こえるかもしれないが、他の人でもできる仕事を自分がもらうという意識が増えると、働けることが当たり前には思えない。

だから、仕事を与えてくれることに「ありがとうございます」というようになる。

それこそ、待遇や報酬額に不満があって、「もう仕事を受けません」と言うのは簡単だ。

でもその縁を切った後に、自分を求めてくれる相手がいるのかもしっかりと考えなければいけない。

こみちの場合なら、仕事を振ってくれることに感謝し、その報酬で生活費となっている。

ただ、準備期でこみちのように生活費を稼ぐことに終わってしまうと、結果的に飛躍期にも維持期にも進めない。

働いて消費するというサイクルになるからだ。

しかし、飛躍期に入ると、働くと消費の間に変化や工夫という項目が入る。

働き方が少しずつ変化したり、働き方を工夫したりして、去年とは異なる可能性を感じられる。

つまり自身が進歩しているという実感がある。

こみちのように準備期のままだと、「進歩」している感覚が乏しく、むしろ老いているという感覚が増す。

やがて老いて今の生活を維持できなくなれば、それこそ「人生」は終盤を迎える。

現役時代の終わりでもある。

だからこそ、「飛躍期」にしっかりと準備をして、抜け出すことに意識を注ぐべきなのだ。

しかもそれが20代でできる場合と40代とではその後の飛躍期の長さに違いができる。

本気になる時は、一気に準備期を突破した方がいい。

こみちも中高年になって介護の仕事に関わり、介護福祉士の国家資格を取得した。

有資格者になったことで、同年代の無資格者よりは時間給や採用率で多少の優遇を受けられるだろう。

しかし、未経験から丸三年以上の現場経験は、中高年にとって簡単なことではない。

何より仕事のペースに追いつかないからだ。

20代で初めて、さらにキャリアアップしていく人とはかなり異なる。

それは他の資格にも言えて、例えば税理士資格を中高年から勉強し、取得できたとしても、肝心な現場経験をさせてもらう段階になって苦労するだろう。

覚えられない自分と戦い、同僚や先輩の足を引っ張り、でも仕事させてもらいながら経験を積むというのは、これまでのプライドを捨て去る覚悟が必要だ。

ある意味、準備期を抜けていない中高年は、恥をかいてでも仕事をさせてもらうくらいの覚悟で、1日でも早く飛躍期に移行することだろう。

逆に若い人たちは、どんなに夢を持ってもいいけれど、準備期を抜け出せないと我々のように苦労する中高年時代になってしまう。

これなら生きていけるという手ごたえを、いかに早く掴めるかが、どうやら人生を豊かに生きる秘訣だと感じた。

言い換えると、迷いや挫折感で生きるのが苦しい人は、決して自分で諦めないことだ。

中高年になってこみちも生きる意味や価値を探してしまった時期があった。

今でもよく分からない部分もある。

こみちの場合は、もう少しで両親の介護が始まり、彼らの老いに関わることになるだろう。

言っても聞いてくれないし、助けてもそれに気づかない。

でも放置できないから、関わるしかないという状況が、在宅介護というものだ。

しかし、考え方次第では、両親を最期まで見届けることで少しは親孝行になるだろう。

準備期を抜けることができなかった人生で終えるのか、抜け出した感覚を得て介護に入るのかは、個人的に意味が違う。