高齢者が苦手なこととは?
多くの高齢者に共通するであろう「苦手」は、「すぐにできないこと」に出会った時の対処だろう。
例えば、車の運転中、しっかりと一時停止させる場面で停止させられない。
「そんなことはない」と思う人もいると思うが、「止まっている風」で、減速してもしっかりと停車するのは「ストレス」を伴う。
また別の例を挙げると、「時間に合わせて行動する」のも苦手だろう。
自宅から30分で行ける場所まで出掛ける時に、30分前に出掛ければいいのに、1時間前とか、逆に30分前なのにまだ準備中という具合だ。
さらに、仕事場でも自分のペースでする仕事ならできるが、ある所まで処理して、それを次の人に伝えるというような連携作業が頻繁になると、急にパフォーマンスが低下する。
これらに共通するのは、「すぐにできない」という、タイミングや段取りを適当に行うことが不得手になってしまう。
これはこみち家での話だが、母親に賞味期限が迫っている食材が冷蔵庫に入っていて、「もう少しで切れそうだから昼にでも食べたら?」と伝えた時の反応に高齢者らしい反応があった。
「そうなの?」
そう答えたものの、何がいつまでなのかをすぐに確認しない。
「マカロニのサラダね」
「嗚呼、マカロニサラダ!」
そう言って、別のことを始めようとする。
後になって「マカロニサラダ食べてないじゃない!」と伝えると、「何の話? 聞いていない」となる。
「昨日、朝言ったよ。賞味期限が切れるからって」
しかし、母親の表情を見て、それ以上伝えることが無意味だと分かる。
つまり、高齢者に何かを告げるなら、現物を目の前で見せて、「これ、お昼に食べて」と冷蔵庫に片付けた場所まで説明しないといけない。
中年ではなく高齢者の仕事探し
中高年と高齢者の違いを挙げるとしたら、ポイントはマイペースでできるかだろう。
こみち自身、中高年の仕事探しでもマイペースでできることをポイントにしているが、より高齢者の場合にはその重要性が高くなる。
例えば、剪定の技術を持っていたなら、どこかの公園の剪定作業をマイペースで任せてもらえる。
自分で車を運転し、指示された内容に沿って作業すればいい。
疲れたら少し休憩することもできるから、より負担が少ないだろう。
しかもポイントは、高齢者だからと言って賃金が安くなっていないこと。
「高齢者に任せている」という扱いではなく、「一人の職人に依頼した」という扱いだ。
もちろん、剪定は専門スキルだから、誰にでもすぐに修得できるものではない。
だからこそ、中高年の方々には今から「専門スキル」となるものを見つけ欲しいし、高齢者で専門スキルの修得が難しいとしても、「労働者」として扱ってもらえることが大切だ。
こみち家の父親は、現在無職。
仕事探しに積極性はなく、テレビを見て1日が終わる。
根っからのテレビ好き。と言ってしまえばそうなのだが、歩くのが億劫になっているので、もう5年後は旅行に行くのも簡単ではないだろう。
朝食を作り、弁当を作り、他にもトイレ掃除や部屋の掃除をしているこみちだが、家事をどんなにしても父親には目に入っていない。
最近、こみちは父親の仕事にしたくて、ポットのお湯をやかんで沸かないようにしているが、彼にとってはとても不満らしい。
「オレがしないといけないのか?」
そんな顔をするし、お湯を沸かすことも稀だ。
なんなら交代で朝食作りをして欲しいと思うが、そこを考えて「お湯くらいは沸かして当然」と理解しない。
理由は、高齢者特有の思考で、朝ごはんとお湯を沸かすことが別々になっている。
つまり極端な言い方をすると、100個誰かにしてもらっても、1個する時は自分が苦労していると感じてしまう。
高齢者になると仕事を連携するのが不得手になるから、専門スキルを身につけておく方がいい。
でも父親が働けない理由は、ヤル気だけでなく、キャリアパスを理解していなかったことだ。
極端な話、家でテレビを観ながら稼ぎたいなら、在宅ワークにどんな種類があるのかを調べてみることだ。
入り口とするなら、webライターになれば1日数千円くらいは稼げるだろう。
しかし文章作成の基本から、イロハを学ぶとなると、それはそれで学校に通うくらいの下積みが必要になる。
なぜなら、webライターを始めれば、依頼者から書いて欲しい内容を指示される。
経験が浅ければ、それだけ指示される内容も多くなるだろうし、自分が感じたことを書くよりも相手のイメージに合わせることが求められる。
ここでも「合わせる」という高齢者には不得手なパートが入ってくるので、始めやすいwebライターも段々と若い頃から経験するべきだったと感じるはずだ。
グラフィックデザインや執筆、動画編集やカメラ撮影など、個人でもできる仕事はたくさんあるけれど、全くベースがないままに始めるとなると仕事になるまで下積み期間も長くなりそうだ。
そう考えると、公的な資格を取得して、それを活かした働き方は、割と始めやすい部類かもしれない。
いずれにしろ、目の前のことしか考えられないようになると、やはりできることは限られてしまう。
今、庭先で父親が草木を刈ってくれているが、経験者ではないので、何をどう切れば良いのかもわからないまま作業している。
つまり、庭木を剪定しても、そのベースが無いので、仕事にはできない。
「何となくできる風」という経験は、どんなにあっても仕事には発展させられない。
逆に一つでもいいから、これなら仕事にできるという経験があれば、それを活かして中高年になっても働くことができる。