中高年の話 「認知症」について在宅介護の視点から考える

 「認知症」とは何か?

加齢による機能低下の一つとして「認知症」があります。

介護系の教科書的な説明をするなら、「認知症」は「物忘れ」や「行為失効」など、今までならできていたことが困難になっていきます。

もう少し具体的に触れると、認知症は脳の機能障害なので、発症による認知症の種類や箇所によって、記憶障害や事実の把握、意思疎通などの困難さが生じます。

暴力行為や暴言など、今までの性格からは想像できない状況も起こり得ます。

「その人らしさ」をどう維持するか?

例えば認知症と診断されると、何もかもが変化してしまう訳ではありません。

「まだら」と言われる、時々に認知症らしい言動があるという感じで、最初はたまに、それが進行と共に頻度が増し、その症状も複雑化します。

特に判断機能に関わる前頭葉に疾患があると、日常生活のよくある場面で、違和感を強く感じてしまう異変が生じます。

これは介護施設での体験ですが、朝に「おはようございます」と声を掛けただけで、ベッド周りにある小物を投げつけてくるという反応がありました。

「どうしましたか?」と近づけば、「出て行け!」と怒り出します。

経験が浅い介護士なら、そんな反応を見て対応不可になるかもしれません。

しかし、利用者の立場からすると「判断機能が低下」しているので、「朝のあいさつ」や「介護施設に居る」という状況を十分に把握できていないかもしれません。

つまり、「いきなり自分の部屋に誰かが入ってきて何か言いよって来た」と感じているかもしれません。

そうなれば、「出て行け!」と叫ぶのも理解できます。

少なくとも介護士は入室前にドアをノックし、「〇〇さん、朝です。そろそろ起きて朝食を食べませんか?」と状況や入居理由をしっかりと伝えて努力が必要です。

しかし、認知症が深刻になると、利用者側に融通を求めることが難しくなり、例えばご飯や入浴の時間を守ってもらうことができません。

また、行為失効と言って、「トイレを一人で済ませる」というような日常行為も不完全になります。

「流さない」とか、「トイレットペーパーを大量に使ってしまう」とか、「拭かずにズボンを履いてしまう」など、パッと見るとできているようにみえて、よく確認すると生活の異変が現れます。

目の前にあるトイレの使い方が理解できずに漏らしてしまうとか、ゴミ箱に放尿してしまうということが起こります。

しかし、本人もわざとそうしてしまうのではありません。

今まで通りのつもりでも、それが出来なくなってしまうのが「認知症」なのです。

その中で、「その人らしさ」をどう維持するべきかは、さまざまな考え方があるでしょう。

介護経験から想像すると、認知症になった人を周りで支援するには、原則3人以上の人材が交代で関わる必要があります。

しかし、一般的な介護施設では、利用者数名を一人の介護士が担当するという配置なので、理想的な環境にはなっていません。

目を離すと居なくなってしまうなどの症状をあると、どうしてもその人に付きっきりになるか、エリアを制限するような対応が必要です。

老老介護を自宅でする場合、症状によっては介護する側が疲弊してしまうこともあります。

「その人らしさ」を維持することは人間らしい自尊心を守ることではありますが、現実的なコストを考えると、家族だけで介護するのは軽度の認知症の場合だけです。

1つの目安として、意思の疎通が維持されているなら在宅介護できると思いますが、そもそも家族であることを認識できない状況の場合、知らない人が側にいて何か話し掛けてくるという理解になってしまうので、そこまで悪化した場合は家族の健康を守るためにも公的な介護サービスを検討するべきです。

8050問題に象徴される懸念

8050問題とは、80代になる親と50代の子どもという家族構成の家庭を指します。

親の介護が始まり、又は親の年金がその家庭の主な収入源になっていたりして、家族に何か起こると一気に問題点が噴出する状況です。

中高年である50代は、再就職するのも容易ではありません。

しかしそんな時期に親の介護に時間を割いてしまうと、子どものキャリアは形成されません。

そんな中で親の年金が途絶えてしまうと、残された子どもが生きていけない状況に落ち入ります。

セーフティネットなど、公的な支援があるのですが、そこに気づかれないという事例もあります。

こみち家でも同じようなことが起こっていて、父親などは今後の展望を話し合うことができません。

まだ認知症ではありませんが、意欲が減退し、働くことを拒絶しているので、今は身の回りを世話している母親がいますが、場合によっては父親の生き方が子どもであるこみちの大きな課題になると予想できます。

「言ってもできない」ので、洗い終えた「皿を食器棚に戻す」ことが唯一できる家事になっています。

それもいつもするのは負担で、「それくらいしてくれよ!」と怒り出すこともあります。