介護士だった時代から学んだこと
人は長生きすると「老化現象」を体験する。
具体的には、筋力の低下、それは思考力や記憶力、聴力、視力、運動機能と、肉体を動かすことが段々とできなくなる。
別の言い方をすると、最高出力が低下するだけでなく、パワーのコントロールも同様に困難となる。
例えば、介護施設に入所される人で、「編み物」を続けている人は稀だった。
手紙を書くことや読書をするということも継続し難い。
そこから想像する生活とは、テレビドラマを観てストーリーを追って楽しむことが困難で、美しい景色を眺めたり、聞き覚えのある歌や音楽をBGMのように聴くことになる。
こみちは絵を描くことが好きで、それを一生続けていけたらと思っている。
でも、手先が自由に動かせるとは限らないし、そもそも描きたいものをじっくりと観察してそれを紙に描き取ることができる忍耐力は残っているだろうか。
ある意味、「歩ける」うちに、行きたいところ、思い出の場所に行っておかないと、誰かに連れられてももうそこにどんな意味があったのかが分からないということが起こり得る。
老後とは、そんな過程を誰もが味わうことだ。
つまり、どんなに社会的地位が高くても、資産家でも、老いには勝てなくて、やはり老化現象が進むと「オムツ」を使い、介護士がその助けを担う。
介護施設に入れる人は幸せ!?
もう少し現実的な話をすると、介護施設に入った人はある意味で幸せだ。
もちろん住みなれた家でいつまでも暮らせたらいいが、家族、特に息子娘の代になって孫たちが日常生活に忙しくなると、老いた人の介護は肉体的疲労も時間の制約も大きい。
事実、家族の負担を考えて入所を決めた人も少なくない。
ただ、介護施設にも種類やサービスのグレードによって価格が違うが、月額で10万円くらいは用意できないと入所は難しい。
資産も家族からの支援も受けられない人向けに、社会制度を使うことができる。
場合によっては、実質「0円」で介護施設に入ることもできなくはない。
しかし、誰もが望めば叶えられる方法ではなく、それこそ入所できるなら他の条件をすべて従うくらいの覚悟が必要だろう。
とても残念な話だが、介護士も介護をしたくてなっているとは限らない。
自身の生活のため、家族を養うためということも多く、そのような場合に「献身的な介護」を求めるにも限界があることを理解したい。
水分摂取は健康維持のために欠かせない。
故に「飲みなさい」と強く言われることがある。
これまでなら、飲みたい時に飲めばよかったのに、傍に立つ介護士に急かされて飲み干さないといけないのは、正直なところ「覚悟」が必要だ。
ピンピンコロリ!?
こみちが行き着いた考えは、「現役」を1日でも長く続けることだ。
定年後、完全に仕事を辞めるのではなく、回数を減らし、一回の勤務時間を短縮しても、「働き続ける」ことだ。
と言うのも、特に男性が無職になると再就職はかなり精神的に困難になる。
「こんなこともできないの?」
そんな視線や表情が気になり、仕事そのものではなく、「できない自分」をさらけ出せなくなってしまうからだ。
特に仕事ができた人や上司として部下の指導役を担っていた人ほど、そのギャップに耐えられない。
事実、初心者として雇われているのに、どこか管理者としてポジショニングしている中高年の男性って多い。
意見を求められていないのに、過去の経験や判断をするのも、気をつけたいポイントだ。