改めて「人生って何だろう?」を考える
中学生の頃、こみちは「大人になったら今と何が違うんだろう?」と考えた記憶がある。
「正しい」こと、「間違えていること」が中学生の頃と同じなら、大人になって何が変わるのだろうと思ったからだ。
結論を言ってしまえば、より「正しくなる」方向ではなく、「正しい」と「間違い」がせめぎ合うようになるのが大人の考え方だ。
子ども時代と大人の考えの明確な差は、その思考力にあるのではなく、「どう考えをまとめるべきか?」が違う。
「自分にとって楽しいこと」を答える時に、子どもは「想像できるすべてから答えを探す」だろう。
しかし、大人になると、それを行う時間や資金のことまで考えるから、年甲斐もなく突拍子もない話はしない。
それは「あなたの強みは何ですか?」という問い掛けに答える時に現れる。
大人になると、自分が一番ではないことも理解している。
だからこそ、「強み」とか、「得意」を聞かれてはっきりと答えることに照れがある。
逆を言えば、続けて来たキャリアとか、これまでの実績によって、「〇〇で賞をもらったことがあります」というような客観的な評価を求めるのだろう。
そこから踏まえると「人生とは?」を考えると、社会の中で一人前の人として評価されるためにあるのだろう。
中には「別に誰からも評価されなくてもいい」と思う人がいる。
例えばこみちの父親がそのタイプで、予定が無いと一日中テレビを観て過ごしている。
じゃ、食事の用意や掃除、洗濯は誰がするのだろう。
もっと言えば、自身が怪我や病気になった時に、その治療費を誰が出すのだろうか。
つまり、現時点で自由に使える手持ち資金が「1億円」以上ある人は別にしても、それ以外の人は社会の中で生きなければならない。
それができない時期、家族の誰かがその役目を果たしている。
子どもと大人の違いは、その「役目」にあって、だからこそ出す結論に差が出てくる。
理想を言えばこうだとしても、現実的にはこうなってしまうということがあるからだ。
それを理解しないで、子どもが大人に意見するのはフェアではない。
日本では「歳上」を尊重する傾向があるのも、年齢によって分かることがあるからこそ、その人の言動に一定の配慮をしているのだろう。
だからと言って大人は何でも許される存在ではなく、尊重されるからこそ「義務」や「責任」も問われる。
大人が大人として意見し、でも責任を果たせなくなったら、それは「介護」になる。
いつも惣菜を買って来る母親
最近、体力的に厳しいのか、母親は夕飯をほとんど作っていない。
スーパーの惣菜を好んで買って、それを皿に盛り直す。
ここ数ヶ月、その頻度が高くなり、なぜか朝食を作りこみちのことまで考えているのか、賞味期限が朝までの惣菜が冷蔵庫にいくつも置かれている。
新たに作ることも出来ず、その惣菜を消費するための朝食になってしまう。
分量や期限を予測して買い物することが段々とできなくなっているように感じるのだ。
と言うのも、最近の母親はこちらの声をあまり聴こえていない。
補聴器を嫌がるから、もっとカジュアルな集音器も買ったが、やはり外見を気にして付けたがらない。
それも分かるが、今は会話が成立していないと感じることがかなり増えた。
呼び掛けても返事をしないし、何度も繰り返し説明しないと理解してもらえない。
込み入った話は難しく、天気や体調など、それこそハイとイイエで答えられるような会話が多い。
それでも母親はおしゃべりなので、自分の話をよくしてくる。
しかし、こちらの声がしっかりと聴こえていないので、「こうなの?」と途中で質問しても、その解説はスルーされる。
だからもうずっとうなづいているだけの聞き方になって、これでは介護している時と変わらない。
それだけ母親にも老いが迫っているということなのだろう。
ギリギリの生活をしていると感じる両親の暮らしを見て、「〇〇の時はどうするつもり?」と確認したいことはたくさんある。
でも、そのどれもを準備しているようには見えないし、もうそれを考えるだけの思考は残っていないようにも思える。
「今を生きている」と言う感じがする。
こみちたちがいなかったら、母親は毎食、惣菜を買うことになるだろうし、買わない時は味見もしないいつもの作り方で料理をするのだろう。
昔から作り慣れたものは、それでも上手に作れるけれど、時々味気ない料理が出てくる。
誰も手を伸ばさないから、それがずっと残ってしまう。
でも、「味見をして作る」とはならない。
「もう方法を変えないといけない」ということに至らない。
こみちは自分や妻のことでも頭が痛いが、両親のことを考えるとため息しか出ない。
せめて自分たちの老後やそれが難しいならそれを意識した行動があると、家族としても受け止められる。
でも、父親はテレビを観て、母親は同じものを買って来てしまう。
大丈夫なのか?
いや、大丈夫ではないだろう。
父親だけを在宅で介護するのはできないし、母親の認知がさらに低下すれば、その介護で誰かが付き添うことになる。
いずれにしても、介護施設という選択肢を視野に入れたいが、月額15万円という目安を考えると、家族のためにも預貯金を残しておくことが大切だ。