「ジェネレーションギャップ」が起こる理由をベースに考える!?
中高年になってみて「年金生活」という老後を考えると、「国民年金」だけよりも「厚生年金」のような手厚い待遇が期待できる制度が羨ましく感じます。
仕事選びという視点で、自分がどんな仕事に向いて、どんなやり甲斐を感じ、達成感や満足感を求めるのかを考える訳です。
しかし見方を変えれば、職種より以前に「個人事業主」で国民年金を選ぶのと、「サラリーマン」で厚生年金を選ぶのでは、老後を迎えた時に得られる「年金額」に差があるのは事実です。
決まった時間に家を出て、上司の指示を仰ぎ、時に言われないミスで怒られることがあったとしても、サラリーマンを貫けばそれだけ老後の年金額では有利というになります。
さて、そんな「厚生年金」が、「国民年金」と一体化されて、どんな働き方でも「一律」という制度になったら、貴方の人生プランも少し見直しが必要です。
と言うのも、自分の「したいこと」よりも「サラリーマン」、「厚生年金」「老後の年金額」とイメージしていた場合、一律化されたら選択した根拠や目的を失うからです。
どうせ、「年金額」は一律なら、好きな働き方をしよう!
そんな風に時代に変化で考え方の根底が変化しなら、その時の世論も変わってくるはずです。
もっと身近な話で例えるなら、「美人」や「イケメン」も時代によって変化するでしょう。
昔のアイドルを今の若い世代が見て、やっぱり可愛いということもあれば、「時代だね」と感じることもあるからです。
我々中高年が「当然」だと思うことも、若い世代には全く響かないことがあって、それこそジェネレーションギャップと言えるでしょう。
「思想」とは何か?
こみちの戯言なので、個人的な見解に過ぎません。
ただ、「美味しそうな料理」を見た時に、「きっと美味しいだろう」と思う経験はないでしょうか。
それはこれまでの体験もあれば、知識、情報などを総合的に照らして、もしかすると無意識に、「きっとそうだろう」と感じることがあります。
言い換えれば、人生のいろんな場面で、「辛い場面だけど、ココを乗り越えたら望んだ未来に近づける」と感じられたら「辛い場面」も「苦痛」とは限りません。
かと言って、楽しいこと、楽なことだけを選んで、満足した生活になるのかというと、周りから見える幸せと本人が感じている幸せにはギャップがあります。
苦痛や困難を経験しているからこそ、ある人の満たされた生活に「幸せ」を感じられますが、生まれてからそれが当たり前で、他に知らなければ、自分の生活がどれだけ幸せなのかは本当の意味で気づかないでしょう。
予算30万円でイヤホンを買おうと思った時に、街中にある電化製品の販売店では最も高い商品でも購入できる資金です。
「一番人気のあるイヤホンください!」
特にこだわらないなら、店員にそれだけ伝えれば、最も人気のイヤホンを勧めてくれるはずです。
一方で、予算が1万円。できるなら5000円くらいで。
と限られた予算で商品を探す場合、イヤホンの人気で選ぶと満足できる商品が見つからないこともあります。
そうなった時に、人は「イヤホン」に何を求めているのかを見直します。
音質という人もいれば、再生時間という人、さらには雨に濡れても大丈夫であることと、その要望は個人で異なります。
つまり、「幸せ」のイメージは誰もが共通していても、実際に手に入る「幸せ」は個人で異なります。
「思想」とは考え方に過ぎず、誰もがそのテッペンまで到達できません。
だからこそ、自分の求める幸せを自分なりに順番を決めて生きるから、それぞれの人生が無限にできるのでしょう。
こみちの考える「幸せ」
こみちは、タロットカード占いもできるのですが、このタロットカードには事前にそれぞれのカードに固有の「概念」が示されいます。
例えば「幸福」というカードが、占いの中で登場したとして、その「幸福」をどう解釈するべきかは人によって少し異なるでしょう。
つまり、「単純に目の前の困難が無くなる」ことを幸福と捉える時もあれば、「苦労」が続く中にも「学び」があって、そこには新しい価値観や生きる方法性を隠れていて、広い意味でそれも「幸福」なのかもしれません。
考え方としての「思想」に対し、「幸福」はその考え方によって導き出せる「感覚」の1つだと思うのです。
例えば資産100億円の大金持ちにはなったけれど、心許せる人がいない、街を自由に歩くこともできないとしたら、それでも「幸福」と言えるのか。
人によってはそれでも「大金持ち」になる夢が叶って幸せだと思うでしょう。
また、最初はそう思って「大金持ち」を目指したけれど、本当に求めているのは自分の意思決定を「お金」という要因で諦めない生活だったと思うようになるのも知れません。
何も知らずに「人気のイヤホンをください」という人生ではなく、予算が無くて欲しいイヤホンが買えない人生でもなくて、「このイヤホンを使いたい」と選択できることが「幸せ」なのでしょう。
でもそのバランスを見つけためには、苦労も努力も、失敗も後悔もして、時に自己否定もしたり、休憩もして、一度は諦めて、でも「また始めてみようかなぁ」が心に浮かんで、「自分は自分」とマイペースに歩みながら、「コレはこれでいい」と自分なりの基準で選んでいけばいいのでしょう。
イライラすることもあるけれど、着実に継続したことはいつか評価されるまでになります。
人生って「急がば回れ」なんですね。
でも中高年のこみち、そろそろ人生の幸福を感じたいと思うようになりました。