「損」を嫌う生き方
大人になってから、父親を一人の男性として評価すると、「お父さん」として見ていた時には気づかなかったことがある。
その中で特徴的なキーワードが「損」を嫌うことだ。
とても美味しい一本500円で販売されているジュースと、無料で配布されているそこそこの味がするジュースが用意されている時に、父親が選ぶのは絶対に「無料」の方だ。
なぜ選ぶのかというと、「ただでもらえる」という価値観こそ最優先されるから。
確かに無料で手に入れられるとお得な気分になる。
しかし、中高年という年代になって感じるのは、「ジュースを飲む」ということも無限に繰り返せる訳ではない。
そこそこの味、いつも口にしている味に心底満足しているならそれで十分だが、心のどこかで500円出せばもっと美味しいジュースが味わえるチャンスが巡って来たならそれを選ぶことがあってもいいだろう。
例えばひと月の食費を一人1万円、四人で4万円の予算だとして、1日あたり1300円という予算で献立を考える。
しかし、それで作れるメニューはどうしても限られて来る。
だからこそ、数日間を1000円に抑え、その浮いた金額をある日の献立に回すという工夫をする。
いつもなら安い豚こまなのに、ある日はA5ランクの和牛という具合に、食材の値段を変えて食事のグレードに変化をつけるのだ。
妻と新婚時代、フライパンにギリギリ収まるくらいのボリュームでハンバーグを焼き、それを「何この大きなハンバーグ!」と二人ではしゃいで食べたことがある。
つまり、強弱を付けることで人生は彩られるし、その一つひとつが思い出になる。
言い換えると、「無料」でしか手に入らないものだけに囲まれた生き方は、本当に生きているだけの食事になってしまう。
価格だけを比較して、生肉が高いから、加工肉ばかりを食べる。
加工肉が値上がりすれば、魚肉ソーセージやもやしを食べることが増える。
強弱として選ぶのではなく、安いだけの理由で使う食材を選択すると、やはり食事は美味しく感じない。
昔、お金が無くて、豚こまをミルフィーユみたいに層にして、それを揚げてトンカツを作って食べた。
意外と豚こまでも手間を掛ければトンカツができる。
でも、もやしからトンカツは作れない。
そこに越えられない差をあることを理解しなければ、つまらない人生になってしまう。
今、父親は仕事をしていない。
だから医者に行く以外は、テレビを観ているだけだ。
朝はこみち、昼は母親、そして夕飯は母親とこみちと妻が交代で作る。
「できたよ」といえば、父親は作られたものを黙って食べる。
美味いという訳でもないし、不味いとも言わない。
お腹がいっぱいになればそれでいい。
スパイスに変化をつけても、調理方法に差があっても、そこには全く興味がない。
むしろ「無料」ということの方が重要なくらいだ。
「お金」を出すということ
仕事を終えて疲れて帰宅した母親や妻は、正直なところ夕飯を作るのが億劫だ。
「今日は弁当にしよう」と相談した時、父親が財布を出して「これで買って来い!」と散財する。
ただそこで差し出したお金は、母親がこみちたちに内緒で渡しているお小遣いだ。
無くなればまた母親にせびる。
つまり、気前よく出したがる父親だが、それはめぐりめぐって家族全員で支払うことになる。
「俺の奢りだ!」と気前よくなる父親に、複雑な気持ちになるのは家族だ。
「無料」だけでは味気ない人生だが、実際には「有料」がすべてということでもない。
「お金を払う」ということで得られるものは、案外と少ない。
厳密に言えば、「心地よいレベル」を得るには相当な金額が必要になる。
ファーストフードのセットメニューが1000円で販売されているとしよう。
でも1000円持っていれば食べられる訳ではなく、店まで、もしくは出前としてひと手間掛けないと食べ物が目の前には来ない。
「奢りだ」とお金を出すことよりも、くつろいだ状況から着替えて車をガレージから出して、店まで行って買って来る方が何倍も面倒だ。
というのも、中高年になってお金と同等に時間が貴重になる。
その時間を割くことになると、場合によってはお金を払って済ませたいと思うことも増える。
つまり、「無料」というのはそれが「0円」というだけで、時間や手間はたくさん掛かっていることもある。
トータルで考えると選択肢が制限され、しかも結果がいつも同じというのが無料のパターンで、結局は無料を選ぶことで人生という意味では損している。
父親は何もできないのではなく、「損」を嫌うあまり選択肢が少ない。
じっとしていればただで生活できると思っている。
生活費や医療費、厳密には支出額があって、それを家族で支払っていることに肩身の狭さを感じるどころか、それで自腹を切らないなら損していないと感じている。
100個の得をして、1個くらい自分のことをする。
そんな感じで、いつも誰かにくっ付いて、できる限り「損」しないように生きている。
最近になって生き方が変わったのか、昔からなのか。
あれこれと昔の思い出を話すけれど、父親が自分で支払って経験したことって聞いたことがない。