中高年になって感じる「独特の感覚」とは?
中高年の皆さんの中に、ファミコンでドラクエを楽しんだ経験がある人も多いでしょう。
エンディングを迎えた後に、それまで訪れた街を眺められるシーンが含まれていたように思うのですが、あながち「天命が尽きる」時にも同じような体験をするのではないかと思うのです。
というのも、中高年になって経験することのほとんどはこれまでに経験したことのバージョン違いであって、目新しく何かが始まるということは少ないからです。
こみちに関して言えば、もう何年も「初めてだ」という経験には出会えていなくて、それこそ表面的には目新しくとも本質的には「繰り返し」に過ぎません。
そんな中、中高年になってから頻繁に「独特の感覚」を感じるようになり、それが先に紹介した「エンディング」のような俯瞰した感覚です。
金運、仕事運、健康運?
人は誰でも、運気をアップさせて、自身の人生がより幸福であることを望んでいます。
パワースポットや開運グッズがあると、「本当かな?」と気になったりするものです。
この心境は中高年になってからも消えたりはしませんが、若い頃に感じた感覚と異なるのは開運で得られるだろう未来」をも超越した「未来」があることも理解しています。
つまり、開運も大切だけど、それは「今を生きる」から感じる感覚で、実はその先があることに気付かされます。
ではそれがどんな世界なのかと考えると、それこそ今見ている世界観をもっと全体として見ている視野で眺める時です。
同じような感覚は、飛行機の窓から眼下に見える景色眺める時に似ていて、本当に小さな街並みが見えて、人はもう本当に小さくて、車でさえ車種などを識別するのは大変です。
しかし、駅や高層ビルを見れば、そこに誰かが働いていて、その人には家族が待っているでしょう。
本当のことなど分かりませんが、誰かはきっと想像したような暮らしを営んでいるはずです。
何が言いたいのかというと、ここで思った想像は何もない所から浮かんだものではなく、自身が生きて来た中で感じた「人生観」で、それは誰かの生き方と一致します。
もしかすると、今は大変に感じることでさえ、もう少し未来には俯瞰的に眺めるようになり、苦痛や困難でさえ微かな記憶になって、ただぼんやりと「そんな生き方」もあるよねと感じてしまうでしょう。
ある意味、いつかそんな感覚を感じて、「これが自身の人生だったのか」と思う訳です。
もう距離や時間という概念は存在せずに、そして細かな事柄も些細なことで、1日が1秒以下に感じるほどのスピードで駆け巡るでしょう。
だからこそ、多くの事柄もほとんど意味を持たずに、「過去」でしかありません。
それ以上に「エンディング」を振り返り、エンドロールでも見ている感覚でしょう。