中高年からの開運 「知識」ではなく「知恵」を身につける!?

 「知識」と「知恵」の関係性

「ひろゆき」さんの動画で、ある若い人から「FXで儲かるための準備の仕方」を訪ねられた時の回答を観た。

彼が出した結論は、「FX」ではなく、目の前の勉強を頑張って「いい大学」に入ることを目指せというものだった。

その理由は、経費と利益という視点で、日本国内の若い人であれば「大学進学」が万人に当てはまる自己投資で、効果が期待できるからだという。

確かに大学、しかもある一定水準以上の大学に通うと、学友との出会い、新たな環境での私生活、サークルや教授との関係、何より就職で開かれる選択肢が違う。

「私はこんな人間です」

見た目だけでなく、人柄や性格を出会った人に説明し、認識してもらうには一定の時間が必要で、そこに至る手間や準備を考えると、全ての人に同じだけのパフォーマンスは難しい。

一方で、「〇〇大学卒」というひと言は、わずか数秒でその人のイメージが伝わる。

しかもビジネスという視点では、評価される大学であれば、個人の評価もマイナスになることはない。

少し大胆な言い方をすると、これこそが「知識」を身につける目的であると思う。

では、「知恵」とは何か。

こみち自身、若い方々には「知識」をつけることが効果的だと思う反面、我々のような中高年になってくると「知識」よりも「知恵」の効果に着目するべきだと感じている。

ここで言う「知恵」とは、直面した課題を処理する能力で、いわゆる正論的な「知識」とは異なる。

例えば、会社内で同僚の不倫を知ったとしよう。

不倫が社会規範として否定されることは「知識」として理解している。

だからといって、「〇〇さんは不倫している」と公言されるべきかは簡単な問題ではない。

つまり、社会的に許されないとしても、それを第三者が知った時にどう処理するべきかは「知恵」の問題となる。

気づかないふりをするというのも大人の世界では多分にあるし、「気をつけた方がいい」とさりげなくアドバイスするという方法もある。

どんな場面でどうその直面した問題を扱うべきか、つまり「知恵」がない人ほど場の空気を読めず、それによって信頼や人脈も広げてられないことになる。

こみちも大概人見知りだが、だから社会的な交友関係を閉ざしてもいいと結論づけるべきではない。

なぜなら、大人の社会では人脈も大きな能力で、それを完全に無視して成功することは難しいからだ。

でも人付き合いが苦手という人もいるはずで、「完全に断ち切る」ではなく、「程よい距離感」を自分で模索する工夫は怠ってはいけない。

それこそが「知識のある人」ではないだろうか。