中高年の原点 「成功者」になるために必要なもの

 「人生」を「ボクシングの試合」に例えたら

「ボクシング」とは、四角いリングに立った二名のボクサーが、大きなグローブを両手に付けて、その拳だけを用いて相手との攻防を競うスポーツである。

そのために、ボクシングの練習としてサンドバックと呼ばれる円柱形の目標物を殴るがある。

ボクシング未経験者が行う時、経験ある選手たちから「未経験者だろう」とそのパンチする姿だけで競技レベルが分かってしまうらしい。

また、同じような練習に「シャドーボクシング」があって、こちらはサンドバックさえない場所で、ボクシングのイメージトレーニングを行う。

経験者、実力ある選手のシャドーボクシングを見ていると、そこに対戦相手のイメージが浮かぶ。

自身がパンチを一方的に繰り出すのではなく、頭は動かして相手からのパンチを想定したアクションが折り込まれていたりするからだ。

特に、両足を結んだ延長線上に対戦相手が立っていて、シャドーボクシングは、「相手選手」を中心に行うことが多い。

ここでポイントとなるのは、「身につけたいスキル」とそれを果たすための「練習メニュー」になってくる。

共に動きながら戦うことになるボクシングで、動かない相手選手を想定した練習は無駄骨になりやすい。

一般的な攻撃とされる「ジャブ」や「ワンツー」のようなパターンに対して、受ける側の対策が不可欠になる。

よくミットと呼ばれるパンチを受け止める専用の円盤型のグローブがあって、トレーナーが選手のパンチを指導する場合に使用する。

競技経験の浅い腕力に自信がある素人ほど、力いっぱいミットを叩こうとする。

ミットを持つトレーナーもその心理を理解していて「パンチ力がある」と評価する。

しかし、いい選手ほど強いか弱いかではなく、距離感やリズム感、打ち方の柔らかさなど、全く異なる部分にポイントを置いている。

というよりも「ボクシング」と呼ばれる競技では、動かない相手にどれだけ渾身の一撃を放とうとも、そもそも選手は動き回るから当てることができないと知っている。

つまり、競技経験が浅い故に間違えてしまう誤解である。

「人生」を「スポーツの上達過程」と照らして

闇雲にもがいているだけでは結果には繋がらない。

スポーツ上達で、漠然とした練習をするだけに終わってしまうのと似ている。

ポイントは大きな目標、小さな目標、さらにそこに向けた部分的な課題の抽出だろう。

例えば今から10年後、自分がどこでどんな生活を送っていたのかをより具体的イメージできたなら、「大きな目標」も見えてくる。

「幸せになりたい」という類いの印象ではなく、数値化してより達成するべき目標に対し、どのような鍛錬をどれくらいこなすのか明確にしたい。

少し以前、中高年になって体力や集中力に減退が現れて、「もうこれくらいでいいだろう」という消極的な意識が芽生えていた。

一方で、巷の成功者たちを見つけると、彼らが成功できたキッカケやポイントを分析することも行っていたが、多分、成功した人の中にもどうして成功できたのか定かではない人もいるはずだ。

それは成功後の行動を見ていると、「ン?」と思うところが出て来る。

以前はそれを思って「これくらいで」と考えていたのだが、実はそれで成功できても継続できないことが分かった。

早い人でひと月、数ヶ月、平均すると3年以内で下降気味になる人が大半だろう。

上昇し続ける人の特徴は?

思うに「継続できる」ためには、明確な「根拠」があって、それに対するアプローチが続いているからこそ達成できているはずだ。

何かのキッカケでポンと成功した人は、「根拠」も「継続」もないから、下降するのは当然なのだ。

イメージとして、「円」を人は描いて生きている。

とは言え、その「円」の精度も大きさも人によって差が大きい。

継続できるような「円」であるなら、短期的には「直線」のような見え方をする。

つまりそれだけ「目標」が大きく、描いている「円」も巨大だ。

一方で、継続できない人や、目的意識が無い人は、思いつきで線を引いて行く。

結果として「円」のような閉じられた線で囲むのだが、それを「円」と評価されれば成功になるし、「円では無い」と判断されれば、また一から引き直すことになる。

同じ失敗を繰り返せば、それだけ時間を消費し、ある時点からは「円」の大きさにも注意しながら行動しないと、引ききれない可能性が出てくる。

若い頃は、早々に小さめの「円」を完成させる人もいるが、順調不調に関わらず、個々の違いはそれほど明確に現れない。

むしろ、30代中盤から40代くらいに、それまでの軌跡が見え始めて、人としての厚みに差が現れる。

偉そうにしてその厚みを演じる人もいるが、本当に達成している人は何をしなくても周囲から一目置かれる存在になってくる。

「円」をより高い精度で描くためには「中心点」、つまり描こうとしている主旨となる部分が明確でなければいけない。

歩き描きながら、常に中心点との距離を意識して、自身の歩みを正して行こう。

歩いている内に、もっと大きな円を描きたくなることもあるが、まずは一度その完成に撤するべきだ。

なぜなら、ある程度の成果が見られる「円」は、早くて3年、長いと10年以上も多い。

つまり、人生の中で何度もできる時間は意外と少ない。

中高年になって初めて描き始めるのであれば、そこは大き過ぎない目標に留めておこう。

そして、それでもしっかりと達成できたら誇れるのだから、誰かと比べて意地を張るのではなく、黙々と淡々と歩んで行くことだ。

そうすれば、3年、5年と経過した頃に、自分の歩みがしっかりと際立ってくるだろう。