中高年の現実 やっぱり「人生は上手くいかない」と思うワケ

 自分の得意なことって?

昔以上に、自分の得意なことが少なくなり、数少ない得意なことでさえ「それほど得意には見えない」感じだ。

他人と比べてはいけない。

特に若い世代と並べば、一回りも二回りも見劣りしてしまう。

昔なら、この形になれば強みが活かせたという体験があった。

でも今はそんな形など皆無だし、むしろ得意ではなかったようなことがさらに増えている。

中高年になって、恥をかき、己の未熟さに打ちのめされる毎日だ。

数少ない飛躍のきっかけ

こみちに残っているのは、そんなに上手くもない「絵」くらいなものだ。

それだって、同じ趣味の人から見れば「絵が好きなんだね」と思われるくらいだろう。

それくらいこみちという人間に残されている能力なんて知れたものなのだ。

昨晩、いつも一階で使っている掃除機が壊れた。

一階の備品は父親が確認することが暗黙で決まっている。

いつだか、父親が不調な機械を直そうとして、掃除機を分解して元に戻せなくなってしまった。

そしてただたま家にいたこみちが呼び出されて、復元させたことがある。

とは言え、よくわからない部品もあって、自分でも完璧だったとは思えない。

そんな掃除機がまた壊れた。

父親はいつものように何も言わない。

母親は最後に修理したこみちに頼ってくる。

妻だけは、「新しいのを買えばいい」と言ってくれた。

老いを感じるこみちが思う以上に、両親の老いを感じる。

扱いは荒いし、大切にしていたフライパンに別の鍋を平気で重ね置きする。

フライパンのテフロン加工が傷つくことも気にしないのは、料理にあまり関心がないことや、それがどう悪影響なのか気にしていないからだ。

こみちと若い人を比べた時に、スピードや耐久性の差も感じるが、視野の広さが違うのもある。

何か途中でいくつものことが重なった時に、瞬時に判断してリカバリーできない。

後々になって、ミスに気づき、やり直すということがある。

昔ならこんなミスはしなかったと思うけれど、それが段々と増えて来た。

掃除機の話に戻れば、どうして分解してしまうのかと思う。

息詰まるところで回されても、中高年のこみちにそれをリカバリーできる力はない。

だからこそ、丁寧にコツコツと生きていくことしかできない。

今日は一つ。明日も一つ。

疲れたら、大事を取って休む。

焦ったいと感じることも多く、欲しいものがなかなか手に入らないと思うし、そんな方法に周囲の人が呆れてしまう気がする。

でも、それしかできない。

何かで無理をすれば、さらに大きなしっぺ返しが待っている。

それでも、毎日を生きなければいけない。

他人に対して出る批判や愚痴も、元は自分自身の不甲斐なさにある。

思うように上手くいかない。

周りからの援助も見込めない。

テレビしか観れない父親にすれば、もう自分はこれしかできないから、あとは全部面倒を見て欲しいという心境なのだろう。

でも、それに応じる余裕はなく、だからこそもう少し頑張ってと訴える。

父親もできないのだろう。

そろそろ、朝食を作る時間だ。