世界で活躍するために海外の大学に行く人と地元で地域支援に頑張る人
これから、こみちが小説を書こうと思った時に、「人間の魅力とは何か?」を深掘りすることになったとする。
ドラえもんに出てくる「出来杉くん」のような才能豊かな人もいるが、こみちのように平凡な人もいる。
異性として交際するなら、将来性を考えても「出来杉くん」を選ぶ方が幸せな人生になるのは誰にも分かる。
しかし、中高年になって改めて、海外の大学で世界各地の人たちに出会い、学ぶことを通じて国内に止まらない活躍を夢見る人と、今だからこそ地域復興に着目し、地場産業の新たな躍進に尽力する人のどちらが優れているかは簡単に判別できない。
異性の立場で、海外の大学で学んだ人と結婚したなら、日本以外の場所で生活し、その地の文化や習慣に馴染み、時にはホームシックや日本の良さに改めて気づくこともあるだろう。
一方で、生まれ育った地方都市に留まるということは、高校を卒業して同級生たちが都会の学校に進学し、どんどん垢抜けていく中で、時に自分だけが変わっていないような錯覚を感じつつも、生まれ育った町の良さを大人目線で感じるはずだ。
同時に、時代の変化や価値観の波に、地域復興の難しさも感じる。
そんな異性と親密になり結婚して、子育てを経験しながら改めて地元の良さを感じて、年を重ねていく。
どちらの人生も最高の人生になるだろうし、誰かから批判される生き方ではない。
それよりも、人生はその両方の生き方を両立させられない。
なぜなら、地元にこだわる人と生きて行くのか、海外で新たな生き甲斐を見出そうとする人を選ぶか、そこに大きな決断があるからだ。
「大学進学」って何だろう?
大学だけではないが、一般的に大学に進学することでしか得られない「資格」がある。
医師や薬剤師など、より生命や健康、財産に関わるような仕事をしたい人には欠かせない選択肢だ。
例えば地元の復興を考える時、ずっと地元で頑張るという選択もあるが、都心の大学で学び、官庁で働き、人脈を広げてから地元に戻るという方法もある。
両者の違いは、何かしたいと思った時の選択肢だろう。
「才能」があることは可能性を高める。
しかし、そのままでは何も起きなくて、そこからどう活かすかが20代30代の生き方になる。
別の言い方をするなら、こみちのような中高年になってしまうと、もちろん大学で学ぶこともできるけれど、そこからの選択肢はどうしても限られるし、できるなら「次の展開」まで視野に入れて大学に進学するくらいでないと無駄になる。
海外で学んだという場合でも、自身の才能を活かすためにはさらに能力をレベルアップしつつ、活かし方を学ばないといけない。
国内の場合と比べて、言葉の壁もあるだろうし、歴史的背景や文化的な違いまで含めると、より多くのことを学ばないと思うようにことが進まないかもしれない。
こみちは日本語しか話せないが、英語など、語学をもっと学んでいたら、選べた選択肢も違っていたと感じる。
でも、遅いということは無いにしても、20代で気づいていた時とはできる範囲が全く違う。
「人間の魅力」を掘り下げた時に、夢や希望を持っている人は輝いて見える。
しかも20代から30代、40代と年を重ねていけば、どんな生き方をしていても大体、どこまで自分が到達できる人生か予測できるようになる。
つまり、「夢や希望」がより具体的で現実的で、違うのはそれまでの生き方から選択できる方法の数くらいだ。
例えば、これからカレーを作るとなった時に、ジャガイモや人参を切り、カレー粉と混ぜてもできる。
一方で、タイに居た頃に食べたグリーンカレーを作ったという時は、味そのものよりもなぜ作ったのかという部分で、1つ人生経験が加わる。
ある意味、目的だけなら今からでもできる。
でもそこに何かアクセントやこだわりを加えるには、「人生経験」が必要だ。
若い頃は、可能性の大きさ。年を重ねると「何をして来たのか?」。
きっと人間としての魅力は、そんなところから生まれるのだろう。