昨日の夫婦喧嘩から
朝、いつものように5時には起きて朝食作りをしました。
昨日のトイレ掃除を今日に回したので、洗濯、部屋とトイレの掃除が今日に予定に加わりました。
「おはよう」と声掛けも何も言ってくれないので、「一緒にいるのが苦痛なの?」と聞いてみました。
強張った表情で、「話したくない」と言います。
感情を出さないようにしているからこそ、表情が硬く、それが逆に深刻さとして伝わります。
妻の立場で考えると、こみちと一緒にいても幸せになれないと感じるのは仕方ないことでしょう。
先が見えるからこそ、我慢も辛抱も意味があります。
しかし、お先が見えないとなるとどうでしょうか。
休みの日が辛いのは二人共!?
今さっき、妻が仕事に出掛けていきました。
もちろんひと言もなく、立ち去っていきました。
正直、妻が休みの日、こみちは最も真剣を使います。
少しでも居心地良くして欲しいので、ストレスを感じさせないように太刀振る舞わないといけない気がしているからです。
もしも、こみちの存在を鬱陶しく思うなら、妻はなぜ自分で弁当を作って行かないのでしょうか。
もしもそんな質問をすれば、感情を爆発させて、そこら辺にある物を投げ始めるでしょう。
こみちが介護士の仕事を辞めて、朝食作りの担当になってから、約3ヶ月が経過しましたが、その間、1日も朝食作りを代わってもらったことがありません。
逆に、こみちが介護士の仕事で疲れて帰宅し、妻が休みの日だった時も、「明日、休みでしょ!?」と言われて、やっぱり食器洗いなどをしていました。
厳密なことを言えば、もしも心底鬱陶しく感じるなら、「別れ」を切り出して欲しいくらいです。
中高年になっても、妻にはきっと妻らしい生き方があって、何も我慢してこみちとの生活で疲弊する必要などありません。
逆に、妻とは言え、この人は信用してはいけない相手だと思いながら、一緒に生きる方が辛いくらいです。
ただ、20代の頃なら「別れ」を選択できても、中高年となりいろんなしがらみができてしまうと、単純に「離婚」と切り出せません。
とは言え、今朝のような態度を見てしまうと、もうこみちに対する尊敬も信頼もないとしか思えませんし、例えば妻が外でいい人を見つけたとしても驚かないくらいです。
心が離れてしまうと、人は長い時間を経て築いた安らぎを手放すしかありません。
「家から出て行け!」とは言いませんが、「出て行っても追いかけない」でしょう。
愛情がある訳でも無し、これまでの長い時間が一緒にいることを当たり前にしていただけなので、それこそ何をしてももう気持ちが戻って来ないからです。