中高年の予感 「個人の能力差は20%未満」って本当なの?

10%の能力アップは世界レベル!?

例えば100メートル走で11秒で走れる運動が得意な人なら、10%能力をアップさせて10秒で走れてしまったら日本代表選手になるでしょう。

もちろん100メートルを11秒で走れるという人も、かなり選ばれた人であることに変わりはありません。

しかし、日本代表選手になるのはもっと大変なことですし、さらに言えば10秒で走れる日本代表選手が10%能力アップさせると9秒になり、世界中が驚く大記録が誕生します。

中学や高校、大学の時に、他人よりも10%優れていると言う人は、その分野で一目置かれる成績が出せる存在です。

さらに、一般社会では10%能力が高いと言うのは日本一位が狙えるほどで、世界トップ戦線にも挑めるほどです。

そこからさらに日本一位の人が10%の能力アップを果たせば、世界一位にもなれるでしょう。

数値化すると、「オレはこのスポーツが得意だ」と思っている人が「100」と言う数値であるなら、日本一位が「110」、世界一位が「121」ということになります。

つまり、純粋に2割の差が生じるというのは、とても大きなことで、もしもそんな状況が起こっているなら、何か根本的な間違いやミスが隠されているかもしれません。

それくらい人の能力には本来差があるものではなく、特に自分が得意だったり好きだと思っていたりする分野では、今より2割以上もできるようになったら、世界一位だと思ってもいいほどです。

つまり、「凄い」と思う相手でも、逆を言えば2割のアドバンテージを設定できれば勝負になるということです。

例えば100メートル走で、世界トップ選手を相手に、2割のハンデ、つまり20メートル前から走るか、スタートを2秒先にできれば、十分に勝負できるでしょう。

運動が得意だという人で、11秒台で走れる人なら、2秒のハンデを貰えたら、9秒台に突入します。

激しいトレーニングや食事管理などを経て、運動能力を向上させようとした時、言うなればこの「2秒」をどう縮めるのか試行錯誤しているのです。

逆を言えばこの「2秒」がどれだけ簡単に縮まらないのかということであり、このわずかな時間の中に多くのアスリートの記録が詰まっているとも言えます。

仕事をして気づいたこと

こみちは製造の仕事を始めて、質とスピードの両方を向上させるために試行錯誤してきました。

特に最初に頃は時間を無視して、できるだけ質の高い完成度を目指し、何度もやり直したり、やり方を変えるなどして、納得できる質になる方法を編み出しました。

その後、スピードアップを狙って、工程の順番や手の置き場など、小さな修正を幾つも重ねて、それが結果として1%とか2%の効率化に繋がります。

ところが、あるスタッフは、そんなこみちのスピードよりも30%以上早く仕上げます。

20%の違いでも相当なのに、それ以上の速さって理解できません。

思いつくのは、「同じ手順では無い」ということです。

同じ10項目を2割スピードアップできるのは相当に凄いことです。

しかし、項目を1つ、又は2つ、3つと省いたらどうなるでしょうか。

能力としてはそう違いがなくても、スピードという見える部分では20%〜30%凄いと評価されます。

こだわりとしている作業の中にも、省略できたり、同時にまとめて行えたり、手間をかけないようにすれば、限界だと思っていた行為も格段に早くなったりするでしょう。

ポイントは能力的に差が少ない領域で

例えば営業マンの売上を比較すると、トップセールスマンは月商1億円で、新米のこみちはまだ契約0だったりします。

その時、売上額を比較すると、もう何十倍、何百倍、それ以上の差が生じています。

つまり、現段階で売上額で分析しても、すぐに「真似できること」ではありません。

例えば、1日の営業先の件数や月に読んでいる本の数、他にもできる人の2割前後の差で真似ることが出来そうなことならいくつか見つかるでしょう。

つまり、どんなに凄い人でも、元々10倍凄いのではなく、多くとも20%の違いを積み重ねた結果として、今の素晴らしい成果を手に入れているのです。

言い換えれば、一見すると凄い人も、実はそんなに自分と差がない領域もあるし、むしろ自分の方が得意だったりすることも含まれます。

さらには、2割の差が、例えば大学の合否だったり、望んでいる職種になれるなどの差として現れ、単なる能力の差ではなく、挑戦する機会までも変えてしまうことがあります。

そうなってしまうと、もう挽回はできませんし、根本的に対策も立て直すしかありません。

しかし、同じフィールドにいる限りは、「真似ること」をきっかけにして相手に追いつくチャンスは残されています。