中高年の発見 「人間の最終的な目標」とは?

 中高年になって思う「人間の目標」

多分、人間は他人に優しくすることを最終的な目標としているのだろう。

例えば、母親が自分の子どもに愛情を注ぐのも、人間の目標だからだと説明できる。

しかしもう少し踏み込んで考えると、子どもにとって必要な「愛情」とは何かを考えると、今の自分が持ち合わせるすべでで足りるとは限らない。

これはこみち自身の経験だが、高校時代、いろんな中学から集まった生徒の中には、大学教授の息子や医師の娘、地方の代議士やアナウンサーを親に持つ友人もいた。

彼らの家庭では、特に当たり前の話題だとしても、その内容はこみちの実家とは違う。

その時々に起こる世界情勢や経済、環境問題に触れる機会もあっただろう。

思えば「教育」とはそんな家庭ごとの格差を埋めることでもある。

どんなにテストで良い点だったとしても、友人たちは当たり前のようにピアノを弾いていたし、海外旅行や別荘の話をしていた。

その頃から、十代のこみちの中で自分には「勉強」しかないのだという意識が芽生えた。

「こみちはどこの大学を目指しているんだ?」

仲のいい友だちに聞かれた。

「お前は?」

「オレは推薦枠で歯学部に入りたい。それで実家でも継ぐよ」

そう答えた友人は、地元では有名な地主の倅で、開業歯科医の父親はかなりの資産家として有名だった。

「なぁ、俺たちずっと親友でいられるだろうか?」

「10年後、何しているかなぁ…」

彼は宣言通り私学で学び地元で家業を継いでいる。

駅前に建つ4階建てのビルの所有者であり、一階で歯科医を営む。

こみちだって、念願だった東京に出て来て、どうにかサラリーマンにもなって地下鉄を使って電車に揺れれる毎日だった。

実は上京した頃、その友人が当時のボロアパートに来たことがあって、「親友でいられるだろうか?」という昔話を熱く語ったことがあった。

「こみちには田舎よりも都会の生活が似合っているよ」

「そうか?」

「なぁ、大学に好きな娘いるの?」

「お前は?」

どちらかというと高校時代はその友人は奥手だった。

テニス部だったが、好きな女の子に失恋して、肩を落とした彼と語り合ったこともある。

しかし、友人はアパートで質問した時に恋人がいて、大学卒業に合わせて結婚することを決めていたのだ。

確か、まだ大学2年とかの頃で、先も見えないこみちとは違い、友人は確実に将来を描いていた。

結婚。出産。増えた子どもたち。

二十代のサラリーマン時代、年賀状が届く度に何か置いていかれている気持ちになった。

その後、こみち自身にも将来を誓う大切な人ができたが、決して幸せばかりの生活ではなかった。

子どもたちにしてあげられることは限られていたし、妻となった彼女は「いいのよ」と笑顔で苦しい生活にも我慢してくれた。

今、夫婦だけになり、両親が加わり、少なからずまたいろんな面で妻には不自由をさせている。

今日は朝食だけでなく夕飯もこみちが作ることにした。

知り合いから送られてきたアスパラガスをソーセージと一緒に茹でて、わさびを混ぜ込んだマヨネーズで和えたサラダを作った。

「上手にできているよ」

「食べられるかなぁ?」

妻が嬉しそうに食べてくれるのを見ていると、本当に良かったと思える。

仕事をしてくれるから、代わりに今は家事をしているこみちだが、子どもの頃から料理が好きで母親の手伝いをしていたことが活かせている。

お金を使って外食することもありだけど、こんな風に喜んでもらえたらそれはそれで嬉しい。

誰かに優しくしたいとしても、「何か」がなければ何もできない。

その「何か」っていうのは、例えば「お金」出し、何かしてあげられる「気持ち」や「知識」、「技術」なのではないかと思う。

キッチンで夕飯を作っている時、リビングにいた父親は一人でポツンとテレビを観ていた。

みんなが夕飯を食べる時も、黙々と食事をして、自分の食器だけを洗ってまたテレビを眺めている。

仕事から帰って疲れている母親を見ても、「食器を洗うよ」とは言ってあげない。

むしろ、「オレのコップも一緒に洗って」と頼むくらいだ。

父親にとって母親への愛情を示す方法は、「甘えること」しかない。

「下手くそだけど、自分で作ってみたんだ」というような行動はなく、誰かが用意してくれるまで待ち続けることしかしない。

それでも、周囲の人が父親の愛情表現として理解できていたらそれはそれでいいのだろう。

もしもすると、父親自身だって料理をしたり、誰かに何かしたいのかもしれない。

でも、「お金を出すから買って来てよ」と言うことでしか、家族に気持ちを伝えることができない。

仕事をしていない父親が出すお金も、元は母親が小遣いとして与えたもので、ここでの生活費は父親以外のお金で回している。

つまり、「お金を出すから」と言っても、誰からの援助で、でもそこを奪ってしまったら父親の存在感は完全に失われてしまう。

「こみち、オレがサラリーマンだった頃は…」

もう何十年も昔の父親の思い出を聞いてあげることも親孝行だと思っている。

話を聞くだけでなく、「ここに欠かせない人なんだよ」と示してあげることで、孤独になってしまう父親自身に手を差し出している。

もう母親だって何年も働けないだろう。

もしも先に母親の方が介護を必要としたら、父親は何をしてあげられるのだろうか。

それこそ側にいることしかないだろう。

できないのだからと言ってしまえば、それまでだが、人は誰かのためにできることを一つでも増やすために生きている。

思えば約10年前から、父親には趣味を見つけたら、運動をしたらと言って来た。

でも父親は何もしなかったし、「甘える」ことしか覚えなかった。

ベタベタすることだけが「甘える」ことではない。

例えば、苦労や嫌な役回りになった時に、自分が損をしていると知っていても、そこから逃げ出せば誰が被ることになるのかと判断できないことも「甘える」に含まれる。

つまり、仕事場で同僚と喧嘩して会社を辞めてしまうことが、どんな意味を持つのか考えなければいけない。

だからといって常に我慢しろというのではなく、嫌なら次のために準備をするべきだ。

こみち自身も耳が痛い。

でも、誰かに何かできることがあるというのはとても素晴らしいことだ。

さぁ、中高年の仲間たち。自分が誰かにしてあげられることを見つけよう。