「今世」でやり残したこと
身体が動かなくなるまでに、「これだけは経験しておきたい」と思うことがどれだけ残されているだろう。
正直なところ、こみちはもう「これだけ」と思うことが残されていない。
妻との約束で、「介護をして見届ける」と言ったから、それまでは生きていたいと思う。
「イラスト」というと、少し「芸術」的な意味が含まれるが、こみちが「描く」理由は今までの経験を総括している部分もある。
上手く説明できないが、「本当の線」と「嘘の線」というのがあって、「真実」に合った線を描けば、描かれたものは現物に限りなく近い。
もう少し言えば、表面的な目鼻立ちを真似るよりも、その人の「雰囲気」を追うことができたら、結果的に「似ている」ものになる。
「本当の線」とは、トレースによってできる線ではなく、もう少し背景に潜んでいる写し取るべき「線」のことで、時に見えているけれど、どこを「線」とすれば良いのか分からない時がある。
つまり、それが画力が向上しないポイントなのだろう。
今、こみちから「描くこと」を奪ったら、それこそ「生きる目的」の1つが失われてしまうし、それだって本当に奪われたら諦められる程度のものだ。
とは言え、まだ少しでも「生き甲斐」を感じられたらなら、今日の朝を迎える意味も生まれてくる。