「もう一歩」ができない
今日、制作の仕事に行ってきました。
お願いされた作業は、少し苦手な内容ですが、いつまでも苦手意識を抱えたくないので、腹を決めて試行錯誤することにしました。
当初予定していた作業量がどうにか終わって、「できれば」という次の目標に向けて作業を続けました。
途中、少し集中力が途切れて、休憩を挟みたいなとも思いつつ、あと少しとなった作業を続けます。
これが、20代や30代なら、無理してもできてしまうのでしょう。
ペースを上げて終わらせたいと思っても、そこは無理が利きません。
自分で自分にことを「本当に、中年オヤジではなく高齢者だ」と感じました。
作業の方もまずまずのクオリティだったので、問題もなく終了したのですが、会社を出て家に着く道中はとてもくたくたになってでした。
帰る途中で電気屋に寄って、sdカードを買いたかったのですが、途中下車する気力もなく真っ直ぐに帰宅しました。
ため息をつきながら
夕飯は、いつからか家族全員で一緒に食べなくなりました。
理由はいくつかあって、妻の帰宅時間がバラバラなので、その時間まで両親を待たせたくないからです。
ただ、昔から父親の性格上、「我慢」とか「協調」とか、誰かに合わせることが極端にできないので、不機嫌になってしまう態度を見るのが面倒くさくなっていることも含まれます。
今日も午後6時過ぎにリビングに降りてみると、何度もため息混じりで料理を作る母親がいます。
もちろん父親はテレビの前に座っていて、観ているのか寝ているのか、後ろ姿だけでは分かりませんが、声を掛けることもしません。
「疲れているでしょう。簡単な料理でいいよ」
最近、夕食担当の母親は、惣菜を買って並べることが多くなり、仕事で疲れた時は料理するのがとても辛そうです。
朝同様にこみちが夕食も担当すれば母親は楽になるでしょう。
でも、「できないから代行する」を続けてしまうと、ほとんど在宅介護状態になった父親のようになってしまいます。
最近、父親はトイレの便座カバーに放尿してしまい、トイレ周りを汚してしまいます。
汚したカバーを外して、洗濯機で洗えればいいのですが、洗濯機の使い方が覚えられないからと、汚したカバーも外してはくれません。
次に入った人が腰掛けた時に、妙な冷たさを感じて「濡れている」と分かるのです。
父親に汚したらせめてカバーを外して欲しいと頼んでも、「オレは汚していない」と論点がズレてしまいます。
何かを頼もうとしても、自分の考えに合わないものは一切してくれません。
それはため息をついて疲れた態度の母親を見ても、父親はテレビを観たままで、手伝おうという気持ちはないのです。
最近、「自分のことばかり考える」と、父親の態度に苛立つこともあったのですが、行動をよく観察してみると、どうやら発達障害を感じさせる症状が見られます。
例えば、冷凍庫にアイスクリームが入っていて、誰かが「食べてもいいのかな?」と言い出した時に、「オレのお金で買ったアイスクリームだ!」と父親が言い出します。
でも、日常生活のほぼ全ては家族による負担で、仕事をしていない父親は年金があるだけなので「オレが買った」の意味が分かりません。
じゃ、今日の晩御飯は誰が負担したのかということになるでしょう。
しかも「お金を出した」という行為があるだけで、実際に店で買って来たのは母親だったりします。
今になれば、1つ100円のアイスクリーム代を支払うよりも、わざわざ店に行って買って来る方が何倍も大変です。
このままも父親に「麦茶」を買って来てと頼めば、どこで間違えたのかサイズも違う「ウーロン茶」を2ケースも買ってきました。
普段から飲んでいるお茶で間違えたなら分かるのですが、ウーロン茶は飲んでいないにも関わらず、迷いもしないで適当に買ってしまいます。
時間があっても、父親に買い物さえ頼めません。
「お父さんのお金で買ったアイスクリーム食べるね」
結局、そうすることが今の家族が円満になる方法になってしまいました。
「お父さん、アイスクリームの代金は払ってくれたかもしれないけど、買って来る方が大変なんだよ」何て言っても、もう理解してはくれません。
正解には理解できないのではなく、「オレが買った」という「男としてのプライド」がまだ残っているので、何が大変なのかではなく、オレが頑張ったと褒められたい心境なのです。
今の父親に、「毎週火曜日に廊下を水拭きする」というような作業はできません。
誰からも褒められない「当たり前のこと」が特に苦手で、ルーティンワークができないのです。
みんなでいる時に、見られながらなら廊下を水拭きできるのですが、誰からも見られない状況では、嘘みたいにしなくなります。
以前は「老化現象」と思っていたのですが、どうも父親の場合は「発達障害」に関わる部分も影響しているように思えます。