「料理」ができない理由はどこに?
こみちがまだ妻と二人で暮らしていた新婚時代、一人暮らし中に思えた料理を振る舞ったことがある。
食事中、妻がポロポロと大粒の涙を流し始めた。
「どうしたの?」
問い掛けても答えてくれない。
しばらくして思ったのが、その頃、二人の仲はあまり良くなくて、離婚までは考えていないけれど、二人で一緒に暮らして行く理由を見失っていた。
恋愛から結婚に変わり、一緒にいることが当たり前で、互いのことがより見え出したという時期でもある。
「大丈夫?」
もう一度、声を掛け、それに応えたという感じではなく、でも妻は料理を食べ始めた。
作ったのは、スパゲッティ。
と言っても麺を茹でて、温めたインスタントのルーを掛けただけのものだ。
しかも、似たような料理が三日続いた。
当時、こみちにとって食事は空腹を満たすだけのものだった。
しかし、妻にとっては楽しい時間で、二人が一緒に暮らす目的とも言えた。
でも料理が下手で、食事の時間が憂鬱になってしまったことにこみちは気付かされた。
今ならどうするだろう?
少なくとも、同じ料理を連日作ったりはしない。
しかもレトルト食品をそのまま出すことも避けるだろう。
ミートソースなら、ミンチ肉を事前に炒めて、ぶつ切りにした生のトマトを一緒に炒めて、それをルーと一緒に絡める。
さらに、チーズを乗せてもいいだろう。
サラダを付けたり、野菜スープを添えるかもしれない。
市販されているコンソメスープの素を使えば、野菜スープも簡単にできる。
何から覚えれば効率的に料理を作るのが好きになるだろうか?
思うに基本があって、応用ができるということは他のことと同じだ。
じゃ基本って何だろうということになる。
それは「料理本」を読んで作れるだけの基本テクニックと専門用語を覚えることだ。
みじん切りや千切りは、包丁さばきの基本テクニックだが、このテクニックがどれだけしっかりとできるのかで同じ料理も見栄えが異なる。
イメージとして、一万人の料理を作る人がいて、同じレシピだとしても完成品は一位から一万位までできてしまうし、包丁さばきでも数千位くらい変わるだろう。
火の通り安さ。口に運んだ時の噛みごたえ。
切るという技術にも、食べた時にいろんなことに影響する。
でも、これは経験しなければ分からない部分だし、長く作っている人でもなぜこの大きさにしたのかを理解しなければ、ワンパターンになるだろう。
つまり、基本テクニックとは、「切る」ということに始まるけれど、「どう切るのか?」に繋げることがポイントだ。
同じことが調味料や食材へと発展すれば、肉じゃがやハンバーグ、餃子などが作れないはずはない。
しかも作る回数が増えれば、さらにその時々で仕上げを変えることもできる。
ここでポイントがあるとしたら、例えば特売の食パンを丸かじりする食事だから安上がりなのかとは言えないこと。
もちろん、トースターや他の食材があることが前提になるけれど、食パンを一回で全部使うのではなく、半分にして、茹で卵に塩胡椒とマヨネーズで和えるだけでも食事らしさが増す。
細切れの豚肉を何枚も重ねて、それにパン粉を付けて揚げればトンカツだってできる。
パンに挟めば、丸かじりよりも美味いだろう。
マスタードが無い時は、カラシだって十分だ。
どこまで準備できるかはその家庭の事情もあるが、一般的な調理器具と調味料があると、レパートリーはそれなりに増えて行くだろう。