中高年の気づき 「仕事は社会との結びつき」だと思う

 「仕事」がある喜び

介護の仕事を辞めて、副業だった製造の仕事を続けながら、今後のことを考えている。

介護の仕事をしていた頃には、出勤時刻が近づくと体調まで悪くなってしまうほど、仕事が嫌になっていた。

出勤してしまえば、家であんなに嫌だと思っていたのに、全く感じたりはしない。

別に誰かにいじめられている訳でも、辛い仕事を抱えているということでもなかった。

でも、毎回、勤務日の数時間前から落ち着かなくなってしまう。

実際、介護の仕事を辞めたことで、気持ちが落ち着けたと感じる。

製造の仕事がある日は、出掛けるのが面倒だと思っても、落ち着かないほど心を乱したりはしない。

何より「仕事がある」ということが嬉しい。

一日数千円だとしても…

一日の勤務で数千円しか稼げなくても、その数千円が稼げたことが嬉しい。

これが介護の仕事を辞めて完全な「無職」になってしまうと、中高年という年齢と求職期間の不安定さから、焦りを感じるだろう。

今は十分に稼げているとは言えないけれど、それでも仕事があって、報酬を得られているという事実が、「生きる」ことを楽しいものにしてくれる。

例えば、父親のように一日中テレビの前に座って暮らせば、どれだけ気楽かと思う。

でも、もしもこみちが同じ生活をしたら、三日もしない内に「なんで生きているんだろう?」と考えてしまう。

中高年にとって、「お金」は未来の希望を叶える欠かせないものだ。

それを得るには、仕事が不可欠。

投資などでもいいけれど、こみちの場合は社会との繋がりが必要だと思う。

「今日もよろしくお願いします」

そんな挨拶をして、作業場に出る時が嬉しい。

こみちよりも若い20代30代のスタッフが忙しなく働いている中で、同じ空間に居られるのは何だか自分にも未来があるように思えてくる。

短い日は2時間。長くても4、5時間で仕事は終わる。

というかこみちが終わりにして「今日は帰ります」と帰ってくる。

無理をしないで働ける環境が嬉しい。

もちろん、サラリーマン時代のように稼げている訳ではないが。

とは言え異業種のアルバイトをするよりも稼げるから、小遣い稼ぎにはなっている。