中高年の日常 「日雇い労働者」になっていた!?

 中高年なら「日雇い労働」でも良いのか?

こみち自身、厳密ではありませんが「日雇い労働者」のような働き方で、休むのも自由ですが未来も想像できません。

勤務先の業績が悪化すれば真っ先に契約はなくなるでしょう。

そんな働き方でも、一回の収益が大きいなら、魅力がないとは言えません。

しかし、一般的な労働単価と変わりないなら、不安定な分だけおすすめできないと判断されるでしょう。

ただ中高年になって、例えば将来は〇〇になりたいというような夢でもないなら、「報酬」が得られるならそれで十分に思えます。

多いか少ないの問題でしょう。

今の仕事は、コツも掴み稼ぐ見通しも立ち始めた一方で、割のいい仕事と割の悪い稼げない仕事が混雑していて、自分がどの仕事を振られるかで稼ぎも倍くらい違います。

「次はコレをお願いしたい!」

順調に作業をしている時に担当者から依頼された仕事は、月に一回くらい回って来る「稼げない仕事」の一つ。

稼ぐというよりも、次回のことを考えて「請けた」という感じです。

とにかく細かい作業で、少しでもミスをすると商品に傷がつく。

急ぐことも端折ることもできない作業が続くので、どうしても時間ばかりが掛かります。

例えば憧れる「イラストレーター」になれていたら?

例えば、イラストレーターとして採用されていたら、部の悪い稼げない仕事など無いでしょうか。

「ちょっと画風に合わないと思うので」

依頼を断って、納得した仕事だけを請ける。

作業効率を考えても、それがいいでしょう。

一方で、「月額20万円は稼ぎたい」というような目標額がある場合、それだけの仕事が入って来ないと「イラストレーター」だけでは稼ぎきれません。

別の仕事を始めるか、それとも部の悪い仕事でも請けるのか。

どんな職業を選ぼうとも、働き方を選ぼうとも、「目標」があるとそれだけギリギリの選択に迫られます。

結果的に「儲かった」という働き方をするには、儲からなかった時のことを誰かがフォローしなければいけません。

家族だったり、行政だったり、「ギリギリ」の働き方と向き合えない人にはそんな手助けも必要なのです。

面白いもので、今現在羽振りの良い人でも、たまたまヒットしたというケースもあって、本来ならそのチャンスから「ギリギリ」と向き合う自分を成長させなければいけません。

これは個人的な感想ですが、頭の良い人でもできない人もいたり、一見するとバカっぽく見えてもそこと向き合い進化していく人もいます。

ちなみにできないタイプ人の特徴は、「納得しないとできない人」です。

「納得」とは、分析や思考が含まれるので頭が良くないとできないのですが、「自分を変える」という段階までくると、そもそも分析や思考さえも通じない領域なので、どうしてそうしなければいけないのか自分自身ではもう理解できません。

その時に不可欠なのが、「人生の先輩」や「信頼できる参謀」の存在でしょう。

自分の意見に沿った相手ではなく、向き合ってくれ、しかも自分よりも先に進んだ人と知り合うには、「人脈作り」が不可欠になります。

社交性や大人の付き合いが不得手なタイプは、それだけ模範となる人に巡り合えません。

場合によっては何年も「自分なりに努力する」という方法に固執してしまうでしょう。

稀に活路を見出せるかもしれませんが、どこかで周囲からそっぽを向かれてしまうのは、根本的な理解が追いついていないからです。

ある意味、本を読むことは、巡り合うことができない人に触れることでもあります。

「本を読んでも眠くなる」というタイプは、自分に寄り添う「本」と考えるからで、「本」から何か人生を変えるヒントを探そうとはしていないでしょう。

優れた小説家ほど、最初の一文で世界を感じさせますが、名文や美しい言葉が使われているから凄いのではなく、その一文から広がる読者の経験と繋がるからだと思うのです。

つまり、一言一句を言葉として表記すれば、言いたいことを忠実に再現できるでしょう。

しかしあえて匂わせるだけに留めることで、読者は自身の体験や想像を駆使して「文章」を理解しようとします。

よく5年後とか10年後に小説を読み返すと印象が違うことがありますが、それだけ感じ方や物の見え方が向上した証拠でしょう。

中高年になり、仕事だけで成長しなくて良いと感じ始めると、それこそ仕事などどれも同じで、違うのは「そこから何を始めるのか?」ではないでしょうか。

誰かにしてもらうしかない人は、たまたま楽しい時間に居合わせれば幸せですが、つまらない時間しかないと人生も知れたものになってしまいます。

つまり「ダメだ」と決めるのは自分自身で、「じゃ、こうしよう!」と思うのも自分です。

お金や人間関係、大人になると人生の大半を占めるような問題も起こり得ます。

しかし、解決策が全く無いということはありません。

ただ自分は無傷で、人任せにしようとするから解決できないのです。

まだ未成年で、親の保護下にあるような場合、大人の力が不可欠ですが、中高年の我々は「助けてください」ということができるでしょう。

誰に頼むべきか、そのために何をどこまで準備しなければいけないのか。

繰り返しますが、今は大儲けしている人でも、他人を信じないで自分の考えも変えられない人は、タイミング次第で一気に困窮することもあり得ます。

特に過去の成功が自分の手柄だと信じ込んでいる人ほど、他人からのアドバイスにも耳を傾けられません。

よく、お金が底を尽きると他人が手のひらを返すように居なくなると言います。

居なくなったのは「お金」に集まった人だから。

人に集まった訳ではありません。

逆に人に集まった時は、その人と一緒に立て直す力になってくれるでしょう。

両者の違いは何でしょうか。

「生きる」ためにどれだけ真剣だったのかということでしょう。

ミスだって失敗だって誰にでも起こります。

でもそうなった時にも前に進もうとしていたら、その姿に勇気や希望を周りの人に分け与えることができます。

「誰も手伝ってくれない」「お金を払うから」

そんな言葉など出て来るはずはないでしょう。