車を「家」にするキャンピングカー
このブログを訪れた人は、もしかしたら「キャンピングカー」に興味を持っていないかもしれません。
しかし、キャンピングカーが車をベースに「家」のような改造を施した特殊車両だというイメージくらいはあるのではないでしょうか。
別のブログで、キャンピングカーのことをあれこれと書いているのですが、その中でいつも問題だと感じるのは「ゴミ捨て」の話です。
一戸建て、マンション、アパートなどなど、人によって住まいの種類や間取りは違います。
装備にも差があるでしょう。
しかし、「家」として住む以上、治安や衛生面が確保できていなければ、健康的な生活は望めません。
キャンピングカーの場合もそうで、例えばエアコンを一日中付けても電気不足にならないとか、冷蔵庫、電子レンジ、テレビも使えるという快適さは、設置場所と使用電力の見通しが立てば、搭載は目前です。
一方でキャンピングカーを購入し、「どこに行こう」と思った時に、急にそれまでの幻想が崩れてしまいます。
例えば、これは聞いた話ですがアメリカでのキャンピングカー事情では、そもそも国土の広さもあって、1週間でも1ヶ月でも、大陸を移動しながらその場所毎に体験できるアトラクションがあるそうです。
今日は大自然に触れようとトレッキングを楽しんだり、次の場所まで1000キロも移動中もキャンピングカーから楽しい冒険心をそそります。
しかし日本国内ではそんな大規模な「旅」などそもそも不可能で、どうしても幹線道路を使い、立ち寄るのは車中泊(車の中で夜を明かすこと)できる道の駅やキャンプ場、RVパークなどの施設です。
マイカーで移動し、宿泊はホテルや民宿を使うことと違いが少ないのも事実です。
昨今ではコロナ禍もあって、キャンピングカーを使う安心感もありますが、500万円では購入できないこともあるキャンピングカーも使い方で悩みます。
ここで触れたいのは、キャンピングカーそのものの利便性ではなく、生活にはいろんな条件が絡みあっているということです。
特にゴミ捨ては顕著で、スーパーでは食材を購入できますが、どうしてもゴミが出て、その処分に困るのです。
もう少し言えば、キャンピングカーでは水道も使えますが、給水も排水も自分で処理しなければいけません。
でも例えば100リットル(湯船の半分)の汚水を捨てたい時にどこで捨てればいいでしょうか。
まさか走りながら捨てることはできません。
つまり、給水用のタンクを大きくするのは置き場の問題ですが、給排水の問題は社会のインフラと繋がります。
「当たり前」を維持するのが大変になる日
「当たり前」だという部分も、実は誰かが担っていて、苦労や不便を補ってくれています。
特に人口が減少してくれば、担い手が少なくなり、増して我々が「日に当たる仕事」ばかりに目を向ければ、「当たり前」が当たり前でなくなる日が来るでしょう。
意図的にズルする人や、高齢で世話になるしかない人、さらにビジネスに長けた人でも根本は面倒な部分を回避していたりで、「どうしてこうなったのか?」と考え直すと、そこには人の「弱さ」が見え隠れします。
私たちはそれぞれに違っていても、違うのは全体のわずかで、大半は同じ人間です。
でもどうして経済力や生活水準に違いが出てしまうのでしょうか。
日ごろの努力もありますが、「当たり前」に感謝しないままに豊かさを手に入れてしまうと、感謝する大切さにもなかなか気づかないでしょう。
その意味では、大金持ちになってもそれはお金の稼ぎ方が上手いだけで、人として優れているとは限りません。
なぜなら、「当たり前」を誰もしなくなった時、お金をたくさん出しても誰もしてくれないからです。
意外と「お金」は人がたくさんいないと使いものにはならなくて、「いろんなことをできること」に変わる訳ではありません。