「施設介護」と「在宅介護」の決定的な違い

 同じ介護でも…

最近、妻が頻繁に目眩を訴えるようになりました。

年齢的に更年期もあるかもしれませんが、一方では今の生活に強いストレスが掛かっているとも思います。

こみち家では、80代前後になった両親との同居中で、家計は別々ですが朝と夕方の食事はそれぞれで分担しています。

今は、朝食はこみち夫婦で、夕食は両親。

しかし最近、母親の体調が下降気味で、夕食も大半が出来合いのオカズがほとんどです。

特に揚げ物系が多く、言ってもこみち夫婦も中高年なので、毎月夕食が「揚げ物」というのも正直なところ抵抗があります。

味見を一切しない母親なので、とても美味しい手料理もあれば、全く味のしない時もあり、きっとそもそも料理が好きではないのでしょう。

しかし、「できない」時にも父親が何か一手を打つことができなかったのでしょう。

料理を覚えるという行動には出られなかったのです。

「苦難に出会うとそれが過ぎ去るまでずっと我慢している」という父親なので、時に嫌でもしないといけない場面でも動こうとはしません。

ある意味で、「大人の発達障害」を疑ってしまいますが、「少しお母さんの手伝いをしてあげたら?」とアドバイスしても、「モォ〜」と心底嫌がります。

嫌な気持ちになるのはこみちにも分かるのですが、母親が空回りしていても助けようとしない父親の姿を見て、その対応にどんな意図があるのかと感じます。

今は朝の7時過ぎ。

こみちたちはすでに食事を済ませて、仕事に行く時間が迫っています。

そして、両親は一階のリビングで食事中ですが、こみちが作った料理を「ありがとう」ということもなく、当たり前に食べています。

食事を準備するのは「在宅介護」でも普通にありますが、「介護」されているという自覚はほぼありません。

というのも、夕飯が作れなくなって来た母親を見て、父親は行動を起こしませんが、こみちが作ると言ってもそれを受け入れるでしょう。

冒頭にも触れましたが、妻の精神的な体調不良も気になります。

洗濯や掃除など、仕事をしてもらっている時間が長い分、家事の大変をこみちが受け持っているのですが、それでもこみちが以前と「同じくらい稼ぐ」以外は妻の負担は減りません。

出来合いしか出てこない食事の改善と、稼ぐという現実の狭間。

つまり、今までのように父親の生き方を継続することはできません。

しかしこれを母親も改善しようとはしないで、ただ目の前のことを頑張るという方向に進みます。

こみちがスーパーマンで、稼いで家事も全てこなせたらみんなが何も変わらずに幸せかもしれませんが、いい加減、自分から何かを変える意識を持つべきでしょう。

施設ではケアプランがあって、利用者を中心に介護士も寄り添います。

しかし、在宅介護では家族全員の思惑があって、介護している人とされている人の意識も曖昧です。

「自分は介護されてはいない」「今のままで上手くいっている」

介護されている方は、そう感じているのでしょう。

できないからと言って、負担を増やすと、ますますそう疑いません。

難しい問題です。